赤崎勇さん死去。青色LED開発でノーベル物理学賞。「われ一人荒野を行く」とつぶやいたことも

赤崎勇さん死去。青色LED開発でノーベル物理学賞。「われ一人荒野を行く」とつぶやいたことも

青色LEDを開発した功績でノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇(あかさき・いさむ)さんが4月1日午前、肺炎のため名古屋市内の病院で死去した。92歳だった。赤崎さんが終身教授を務めている名城大学が2日に発表した。

スマホのバックライトやLED照明などにつながる発明

産学官連携ジャーナル2011年4月号によると、赤崎さんは名古屋大学教授 だった1989年、窒化ガリウムによる高性能の青色LED(青色発光ダイオード)を世界で初めて実現。

NHKニュースなどによると、青色LEDが実用化されたことで半導体光源の「光の三原色」がそろい、ブルーレイディスクやスマホのバックライトなどに応用された。消費電力が少ない利点から、白熱灯や蛍光灯に替わる照明器具としてLED照明が普及するなど、私たちの生活を大きく変えることになった。

こうした業績から、ともに研究に取り組んだ教え子の天野浩さんや、同じく青色LEDの実現に貢献した中村修二さんとともに2014年にノーベル物理学賞を授賞した。

「われ一人荒野を行く」と思わずつぶやいた苦難の道

南日本新聞によると、赤崎さんは松下電器産業(現:パナソニック)に在籍していた1964年に「未知の分野を極めたい」と、青色LEDの研究に取り組み始めた。赤色と緑色のLEDはすでに開発されたものの、青色は技術的に極めて難しいとされていた。

当時、青色発光を実現する材料としては「セレン化亜鉛」が主流だったが、赤崎さんは「実用化にはより丈夫な半導体が必要」として制御がはるかに難しい「窒化ガリウム」を選んだ。

しかし、学会からの注目は薄かった。1981年の国際会議で、技術発表したのに全く反応がなく「われ一人荒野を行く」とつぶやいたという。赤崎さんは、産学官連携ジャーナルのインタビューに次のように答えている。

<化合物半導体の国際会議が1981年 に日本ではじめて開催されたとき、開発した技術を発表しました。窒化ガリウムでは初の選択成長による優れた構造は、相当関心を呼ぶだろうと思ったんです。ところが何の反応もない。全くなかった。そのときの論文集からもわかりますが、窒化ガリウムに関する発表をしたのは私たちだけだった。あとでわかったことですが、有力な研究所(者)はそのころはすでに窒化ガリウム研究をやめており、会場にいた誰一人として、窒化ガリウムに関心を持つ人がいなかったのでしょう。そのとき、私は思わずつぶやいてました。「われ一人荒野を行く」と>

青色発光ダイオード発明…ノーベル物理学賞・赤崎勇さん死去 名大・天野教授「心の整理がついておりません」

 青色発光ダイオードの発明でノーベル物理学賞を受賞した名城大学の終身教授・赤崎勇さんが亡くなりました。92歳でした。

 赤崎さんは名古屋大学教授などを経て名城大学の終身教授を務め、1989年には世界で初めて青色発光ダイオードの実用化に成功し、その技術はLED照明や信号機などに幅広く使われています。

 その功績を受け2014年にノーベル物理学賞を受賞しました。

 しかし、2日名古屋市内の病院で肺炎のため92歳で亡くなりました。共にノーベル賞を受賞した名古屋大学の天野浩教授は「心の整理がついておりません。研究を通して人々に幸せを届けること人材を育てることが先生にご指導いただいた人間の使命と思っております」とコメントしています。

「青色LED生みの親」赤崎勇さん死去 2014年にノーベル物理学賞

 青色LEDの発明で2014年にノーベル物理学賞を受賞した名城大学終身教授、特別栄誉教授の赤崎勇さんが、4月1日午前に肺炎のため死去した。92歳だった。同大が2日に発表した。

 赤崎さんは1929年1月、鹿児島県生まれ。81年に名古屋大学工学部教授に就任し、89年にはそれまで実現は難しいとされていた高輝度の青色LEDの開発に成功した。この功績によって、名古屋大学の天野浩教授、米カリフォルニア大学の中村修二教授と共にノーベル物理学賞を受賞した。

 青色LEDの発明によって光の三原色を作り出すことが実現。LEDのフルカラー化により、現在は照明器具やディスプレイ、バックライトの光源など、さまざまな用途で活用されている。

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