ユーザーとAdobeが力を合わせて登頂に成功したコードネーム「HOTAKA」と日本語DTP完成への道 InDesign日本語版発売20周年

ユーザーとAdobeが力を合わせて登頂に成功したコードネーム「HOTAKA」と日本語DTP完成への道 InDesign日本語版発売20周年

 日本のDTPを牽引する「Adobe InDesign」が日本語化されて20年が経った。その20周年イベント詳細レポートによって、現在に至る日本のDTP史と現況を描ききれればと思う。

 書籍や雑誌のデザインや発刊に欠かせない「Adobe InDesign」日本語版は、熱心なユーザーとソフトウェアメーカーが互いへの尊敬で結ばれている稀有(けう)な存在だ。それまで主流であった「Quark XPress」に取って代わったInDesignは、単なる日本語化ではなく、米Adobeとしては特例ともいえる日本市場への綿密なリサーチと情熱をもって市場に送り出された。今から20年前、2001年2月のことである。

 2月6日に開催された「InDesign 20周年記念オンラインイベント」は「InDesignの勉強部屋」を主宰する森裕司氏が中心となり、InDesignを愛するユーザーやコミュニティーのメンバー、開発・マーケティング・サポートのメンバーが集まる大規模な祭典となった。

 筆者もセッションの一つに登壇したのだが、過去に日本で開催されたInDesignのイベントとは異なる一体感と興奮に包まれ、オンライン開催であることのデメリットを感じさせない7時間余りであった。

 このイベントは開催終了と同時にYouTubeのチャンネルにアーカイブが公開された。InDesignの歴史と魅力的な活用法を知ることができるので、ぜひ視聴してほしい。後編には、イベントに先立って取材した、Adobeのフィールドプロダクトマネージャーである岩本崇氏と、Adobe Type、Japan R&Dの山本太郎氏へのインタビューも掲載している。併せてお読みいただくと、開発当時の時代背景を理解する一助となるはずだ。

[セッション1]InDesignの20年をふり返る

 セッションのスタートは森裕司氏と岩本崇氏によるInDesignの20年を振り返るトーク。貴重な資料画像や製品パッケージも交えながら、英語版1.0から現在に至るまでの足跡をたどる。ここでは戸田ツトム氏による製品デザインへの貢献、2007年に日本で開催されたInDesign Conferenceに尽力された猪股裕一氏の思い出も語られている。

 お二方は2020年に物故されたが、いまでも日本語DTPの歴史にとって忘れることのできない存在であることを、感謝とともに申し上げたい。20年も続く製品なので、各バージョンで追加された新機能や特徴、時代背景も分かりやすく解説されている。

[セッション2]日本語DTPに大革命を! アメリカからやってきた風雲児・InDesign日本語版

 InDesign日本語版開発のキーパーソンとなったプリシラ・ノーブル氏をはじめとして、ユーザーインタフェースのデザインに貢献したリン・シェード氏、プロダクトマーケティング担当だった宮本弘氏が体験した開発秘話が語られる。モデレーターはプロダクトマネージャーの石岡由紀氏。開発当時に記録された写真のスライドショーを交えながら語られたセッションであったが、当日は制限時間の関係で約90分のトークが60分弱に短縮編集されていた。

 アーカイブでは短縮編集前のオリジナル動画を視聴できる。7時間のセッションをフルで視聴する時間がないという方もこのセッションだけはぜひチェックしてほしい。このトークをもとにドキュメンタリーを書けそうなほど充実した内容で、ノープル氏とシェード氏の存在なくしては製品を生み出すことが叶わなかったことが理解できるだろう。

 セッションの終わりには、岩本氏から元製品担当者である姫井晃氏、百合智夫氏、西山正一氏のメッセージが紹介された。このお三方もInDesignの市場成長に多大な尽力をされている。

●連峰のHOTAKAを目指したInDesign日本語版

[セッション3]孤高のFUJIではなく、高き連峰のHOTAKAを目指したInDesign日本語版

 筆者が担当したセッション。この後に続く日本のユーザーの事例を橋渡しする役目的な内容で、β版を初めて目にしたときの印象、その後の開発におけるユーザー側からの視点で20年を振り返った。

 デザインと出版現場で体験したエピソードと、プロジェクトのコードネームから分析した製品の意味と意義をモデレーターの森氏とともに語っている。なぜこんなセッションタイトルをつけたのかという答えも、最後に明かされるのでお楽しみに。

[セッション4]今だから話せる〈マル秘〉あれこれ―デザイン・制作現場の舞台裏

 ブックデザイナーとして著名なヴェレデザインの坂野公一氏と、DTPの黎明期からデザイン・DTPのディレクションを続けている紺野慎一氏が語る、2000年代前半の制作現場事情が楽しいトークでスタート。お二方が関わった京極夏彦氏のブックデザインと印刷について語り、InDesignにおける出力トラブルを回避するためのハンドブックを継続して制作していることを、現場視点でリアルに語っている。

 親しみやすいカジュアルな語り口だが、デジタルでの出力や印刷におけるヒヤリとした体験談に実用的な注意点を重ねているので、印刷現場で大変役に立つ必聴Tipが満載だ。

●メディアが変われば使い方も変わる

[セッション5]メディアが変われば使いかたも変わる! 雑誌・書籍・写真集とInDesign

 編集企画からデザイン~執筆まで多方面に活躍される小林功二氏は、DTPにおける高度な使い方を実際にデモンストレーションしながら紹介。メディアに応じた使い分けはデザイン現場だけではなく、DTP専門誌の「DTPWORLD」やデザイン・DTP専門誌である「+DESIGNING」で培った編集者としての知見が随所に表れた素晴らしいセッションだ。

 出力時のカラー管理や、InDesignで快適にデザインワークができるための実例をいくつも紹介している。複雑なページ、グラフィカルでヘビーな書籍や雑誌のページデザインで困っている方はぜひ視聴してほしい。

[セッション6]DTPと二人三脚で歩んできた男2人が語る、最新InDesign Tips&DTPの今昔物語

 松久 剛氏は歴戦の出力系エンジニア。CEPSからDTPへとデジタル出力のソリューションを提供し続けた大日本スクリーン製造から、現在のSCREENグラフィックソリューションズに至るまでの開発経験を語られたセッション。

 ここでは岩本氏のモデレーションで、出力現場に発生していた技術的なトラブルを、いかにして解決していったかという経緯を画面でデモンストレーション。松久氏と岩本氏は出力現場における戦友のような間柄なので、最後にしんみりしたお話になりながらも心温まる内容だった。

●テキスト変数、スクリプトの活用

[セッション7]InDesignのメリットを活かした表紙の作成

 日経印刷のベテランDTPオペレーターである戸田大作氏は、写植組版時代からの熱心なInDesignユーザー。表紙のデザインはIllustratorが使われることが多いものの、InDesignを併用した表紙デザインもメリットが多いことを語る。

 実例としてデザイン提出後の変更が多いケースでの効率性な解決方法と、時短のメリットをデモンストレーションで実証している。編集部やクライアントからの修正で煩雑かつ時間がかかりがちな作業を、テキスト変数を活用した工夫で一気に短縮するという知恵は、InDesignマイスターの称号を持つ戸田氏ならではの強力な説得力だ。

[セッション8]InDesignのスクリプトを使い倒そう!

 三枝祐介氏は『もくもく会』という、InDesignでスクリプトを活用するためのグループを主宰するDTPオペレーター。.Js、.Jsxといった拡張子のスクリプトを紹介しながら、実行するためのノウハウを詳細に紹介している。コミュニティーの中で形成されたスクリプトはGitHubで公開されているので、すぐにでもダウンロードして実行可能だ。

 実際に書籍用のInDesignファイルを、短時間で効率的にページアップするためのステップを丁寧に説明している。GREPやクエリといった言葉の意味がすぐに理解できる方であれば、とても心強いノウハウが満載された貴重で素晴らしいアーカイブである。

●日本語タイポグラフィの歴史講義

[セッション9]日本語タイポグラフィにおけるInDesignとフォント技術

 写研との事業提携で話題となったモリサワでタイポグラフィの世界に入り、日本語フォントの技術とデザインの両面で深く関わってきた山本太郎氏による歴史的考察と解説。ビットマップフォント、Type1フォントといったレガシーなフォントアーキテクチャの解説から始まり、DTPとフォントの深い関わりを語っていた。

 日本語OpenTypeフォントがUnicodeの体系に包括されて、Adobe Fontsに至るダイナミックなストーリーは、まるで大学のタイポグラフィ講義を拝聴しているようだ。InDesign使いが日本語フォントの知見を深めるための宝庫といえる。

[セッション10]InDesignだから分かる楽しいフォントのGSUB機能

 GSUBって何だろう? 筆者はこの言葉を寡聞にして知らなかったので、丸山邦明氏によるこのセッションはとても分かりやすく勉強になった。グリフって何? 文字コードの意味は? という疑問をお持ちの方はぜひ視聴されることをおすすめする。

 デジタル組版で文字コードの構造がなぜ重要なのか、その情報をどこで確認したらいいのか、InDesignの字型パネルでどこを確認したらいいのか、といったノウハウからトラブルの実例まで、美しい文字組みと上品な配色の解説スライドとともに楽しく学ぶことができる。

[セッション11]InDesignプレリリースプログラムと欧文組版の話

 コン トヨコさんはエディトリアルデザインと欧文組版のエキスパート。コンさんはPCM(Program Community Maneger)という、プログラムのテストに参加するユーザーと開発エンジニアの架け橋となる役目を担い、日本語環境で使用するユーザーと英語環境で開発をするチームとのコミュニケーションギャップを埋めるという重要な存在でもある。

 欧文組版の専門家でもあるので、日本語組版と欧文組版のお作法が異なること、これを無意識に混在させるとトラブルの元になってしまうことを分かりやすく解説している。このセッションは欧文で公共のサインやドキュメントの制作に関わる方々にはぜひチェックしてほしいセッションだ。

●InDesign日本語版開発秘話

[セッション12]InDesign日本語版開発秘話

 開発チームのエピソードとして最後を飾るセッションが、UXおよび戦略リサーチ担当の中村美香氏とAdobe Type開発部のシニアマネージャーのナット・マカリー氏。

 マカリー氏はDTP普及以前の写植指定時代をよく知る方で、「こんな資料をよく持っていたね」という驚きの連続。日本語組版の事情もよく理解されていて、鋭い分析の語り口は日本語組版の研究者の風格で、日本語フォントにおけるドナルド・キーンさんのような存在だ。中村氏は開発当時プロジェクトに没頭するあまり、壮絶な夢をみたというエピソードを語っている。マカリー氏とともに「かけがえのない貴重な経験だった」と語る表情は、当時のチームがいかに熱意の塊であったかを物語っている。

[セッション13]ありがとう せやけど、ココなんとかなりませんか? InDesignさん……

 ナニワのDTP組版界を代表する、大石十三夫氏による安定の分かりやすい日本語組版基礎講座。セッションの冒頭で紹介したのは「大阪DTPの勉強部屋」を主宰する宮地 知氏。大石氏はInDesignを深く使い込まれているがゆえの課題点・疑問点を、ユーザーメリットのための使いこなしに昇華して発信し続ける貴重な存在だ。

 本来あるべき禁則処理に補正するためのポイントをゆったり分かりやすいペースで解説してくれるので、これを視聴するだけでも格段に美しい日本語組版を手にするチャンスをつかめる。直感的にわかりにくい文字組みアキ量設定の設定ポイントも必見だ。

[セッション14]フィナーレ(InDesign 20周年イベントを終えて)

 全セッションのフィナーレはモデレーターを担当した森氏、岩本氏をはじめ、セッション4に登壇した紺野氏、スイッチの鷹野雅弘氏、DTPの勉強会(東京)を主宰する尾花暁氏がまとめを語る。

 登壇されたスピーカーの方々と岩本氏もリモートで参加され、20年の節目からInDesignの将来がどうあって欲しいかという意見交換がなされた。この中で鷹野氏が岩本氏に問いかけたリクエストや、尾花氏の「お宝」の今後についても要チェックである。

 7時間余りに及んだこのイベントは、事前視聴登録者が700人を大きく超えるという大成功を収めた。一般的には専門的で難しいと思われているInDesignだが、間口も懐も大きいアプリケーションだということを改めて確認できた。

・写真撮影:イイダ マサユキ

・配信映像・音声:マリモレコーズ(戸越スタジオ)

※配信にご協力いただいたマリモレコーズの戸越スタジオは、アクリルパーティションや常時強制換気などでCOVID-19感染防止対策を施されたスタジオだった。コロナ禍で安全な配信環境を用意していただいたスタッフに感謝を申し上げたい。

 後編は、Adobe内でInDesignのこれからを見守る岩本崇氏、山本太郎氏のインタビューをお届けする。

🍎たったひとつの真実見抜く、見た目は大人、頭脳は子供、その名は名馬鹿ヒカル!🍏