米同時多発テロから19年。ニューヨークに住む人々にとって911はどんな日だったのか(前編)
2001年9月11日、アメリカで同時多発テロ事件(911)が発生し、今年で19年が経とうとしている。秋晴れの美しい火曜日の朝、テロにより大勢の人々が一瞬にして命を奪われた。
あの日のニューヨークを生きた人々にとって、911とは何だったのか?遠い昔の記憶を振り返ってもらった。今一度、平和について考えるきっかけになれば幸いだ。
911同時多発テロ、当日の時系列
8:46am アメリカン航空11便、世界貿易センター北棟(1ワールドトレードセンター)に激突
9:03am ユナイテッド航空175便、世界貿易センター南棟 (2ワールドトレードセンター)に激突
9:37am ワシントンD.C.のペンタゴン:アメリカン航空77便墜落
9:59am 世界貿易センター南棟倒壊
10:03am PA州サマセット郡:ユナイテッド航空93便墜落
10:28am 世界貿易センター北棟倒壊
911同時多発テロによる死者数:2977人(日本人24人)
世界貿易センター2753人(救出に向かった消防士343人含む)
ペンタゴン184人
PA州飛行機墜落40人
911それぞれの記憶「事故現場をすぐそばで目撃」
松村京子(けいこ)さん・50代・コーコラン勤務
2001年、私は前職の証券会社を辞め、6月から不動産ブローカーとして新たなスタートを切っていた。不動産業は初めのころ忙しくなかったのでワン・チェイス・マンハッタン・プラザ(One Chase Manhattan Plaza)*の中にある日系の証券会社で、午前9時から午後5時までのアルバイトをしていた。世界貿易センターから徒歩3分ほどの場所だった。
冒頭の写真の中で先がブルーグリーン色の尖った鉛筆型ビルの右側に立つ、長方形の高層ビル(60階建て)
ブルックリンの自宅からアルバイト先までは1駅の距離で、駅直結なので外に出ることなく58階にあるオフィスまで行くことができた。毎朝オフィスビル前のカートでコーヒーを買って出社するのが日課だったが、その日はいつも乗る電車を逃したため少し焦っていた。
駅に到着しいつものカートに目をやると、店の人と客が空を見上げて一瞬動きが止まっているように見えた。なんとなく時間がかかりそうだったので、一度デスクに着こうとエレベーターに向かった。
しかしその朝に限って、なかなかエレベーターが来てくれない。ヤキモキしながら待っていたら、やっと降りてきた人たちが皆口をそろえて「上には行かない方がいい」と私に忠告した。第1機目がビルに突入したため、人々は避難しようとしていたのだ。しかしそのときの私は一度も外に出ていなかったため事態を飲み込めていなかったのと、「遅刻はできない」一心でエレベーターで58階に上がった。
そこで初めて、何が起こっているのかを知った。
オフィスの窓から、感覚的に「目の前」で爆発、炎上する世界貿易センターを見て思ったこと。それは「え、ちょっと待って。映画の撮影?!」ということだった。
その後すぐに「飛行機大きいよね。というかこんな大掛かりな撮影を朝っぱらからするの?」「どこからどこまで撮影?」「映画の撮影にしちゃリアル過ぎない?」「と言うか、ここ何階だっけ??」と、脳が混乱した。
時間は大して経過していなかったと思うが、「これ、本当に起こっている!」と気づくまでそう時間はかからなかった。
それから、私は2機目がビルに突入するのをそこから見ている、と思う。多分・・・。同僚と「あそこだよね」と言っているときに突入したと思う。「多分」と言うのは、そこらへんの記憶が実はだんだんと曖昧になっているから。出来事があまりにもウソっぽくて(映画のようにリアルさがないという意味)、はっきり思い出せない・・・。
証券会社なのでオフィスにはテレビモニターがたくさんあり、飛行機事故の様子が映し出されていた。そしてこの日以降、私はテレビニュースで同じような映像を何度も繰り返して観てきたので、今考えると、あの2機目のシーンは私のこの目で目撃したものだったか、テレビで観たものだったか、一体どの部分を実際に見たのか、年月の経過と共にわからなくなっている・・・というのが正直なところ。
ただはっきり覚えているのは、青い空だったこと。9時始業には間に合い、2機目の突入(9時3分)のときに私はオフィスにいたこと。そして58階のオフィスの窓から、こうやって(体を捻って)事故現場を見上げたこと、この辺の記憶に曇りはない。
それから、事故現場がすぐ側だったという感覚もはっきり覚えている。ツインタワー(世界貿易センタービルの愛称)と私のビルは徒歩3分の距離で、私のビルから視界を遮るビルがほかになく、ツインタワー自体が通常のビルと比べてもとても大きく、そこに大きな旅客機が北棟93~99階の7フロア、 南棟77~85階の9フロアにかけて突入し爆発、炎上したのだから、その光景は私のビルの58階から「ものすごく近く」に見えた。
「撮影ではない・・・ということは外に避難しなければ」となり、ノロノロと稼動するエレベーターで地上に降りて行った。オフィスにいたのは10分ほどのことだが、記憶の中では長い時間だったような気もする。
ビルから外に避難したら、焦げたような匂いが充満していた。またツインタワーから紙の束がピャ~と宙を舞って無数に降ってきた。人々はキャーキャー泣き喚き、半狂乱状態だった。それからツインタワーから人がどんどん飛び降りる音が聞こえた。自分の目で見たかもしれないけど、実を言うとこの辺もあまり記憶がない。ただドーンというものすごく大きな音がずっと続いたのだけは、はっきり覚えている。
少なくとも200人以上が炎上するツインタワーから飛び降りたとされている
とにかくここから離れようと思い、まだ地下鉄が動いていたので電車に飛び乗って(イースト川を越え)自宅のあるブルックリンに戻った。川を渡ったら何となく安心感が増した。不動産業のオフィスに行き、何が起こったか同僚らに話したが、テレビを観ていない人はまだ事の重大さがわかっていなかった。人によっては「えぇ?」という反応だったりで、マンハッタンとは温度がまったく違った。
何が起こったのか、今であればすぐにグーグルで調べることができるが、当時の私の自宅にはコンピュータもインターネットもなかったような気がする。通話のためのガラケーはあってもスマホはない時代だ。「ググる」時代の前の情報収集の主流であるテレビニュースを、朝から晩までずっとチェックした。ツインタワーが倒壊するのもテレビで観た。
実は私は、世界貿易センター爆破事件* も経験している。そのテロが起こったのは、私が北棟にオフィスがある日系の証券会社に入社したばかりの金曜日だった。カフェテリアでカレーを買ってデスクに戻ったら、ビルが揺れた。上司に言っても「揺れてないよ。フロアが高いからね」で終わった。
1993年2月26日、世界貿易センター北棟の地下駐車場が爆破され、死者6人、負傷者1042人を出したテロ事件。犯行は911と同様に、イスラム原理主義のアルカイダが関与したと見られている
アメリカ人は皆、北棟からいなくなったが、私の上司は「東京の指示があるまで帰っちゃダメだ」と言い、結局午後5時(日本時間の翌朝)までオフィスで働いた。外に出ると周囲の人々の顔がススだらけで事の重大さに初めて気づいた。そんなわけで、翌週もアメリカ人はオフィスに来なかったが、日本の会社の社員である私たちだけ、その後も変わらずに出社した。
911やその爆破事件で、学んだことがある。それは「何かあればその場から逃げる、以上」。ツインタワーで亡くなっているのは、逃げるのが遅れた人が多いと言われている。ビルの外にいた人の中にも、「知り合いがあそこで働いているから助けなければ」とか「歴史的な出来事だから目撃したい」などと言いながら事故現場に向かっている人もいたが、私には信じられなかった。吐血や人工呼吸ができるのであれば別だが、一般の人が正義感で事故現場に行っても救出活動の足手纏いになって、迷惑をかけるだけ。誰から教わったわけでもないが、何かあればそこからなるべく離れるべきだと思った。とにかく自分の命を守るということが大切。
もう一つ、あの出来事を通して思ったのは、自分はどこまでも日本人だということだ。911の出来事は、確かに自分の人生で起きた危機の中で大変なものだったが、なんとなく自分はアメリカにゲストとして住んでいる日本人だと思った。少し冷たいように聞こえるかもしれないけど「あぁこの国が。どうしよう」という不安や恐怖心はなかったし、泣いたりすることもなかった。アメリカという国はこれまでどうにかなってきているから、こんな大事件が起きてもなんとかなるだろうという気持ちがどこかにあった。それより私には東日本大震災の時の方が「私の国はどうなっちゃうの。神様助けてください」という気持ちが強かった。人が津波に流されるのを見て涙も出た。
またポジティブな点として、あの事件を通して、私はアメリカのすごさをつくづく感じた。911を通して、逆に「これからもっとみんなで力を合わせて頑張ろう」と、人々の結束が強くなったのを間近で見て、ニューヨーカーって素晴らしいなという気持ちが芽生え、アメリカがますます好きになった。
ただ個人的なことだが(新型コロナウイルスの初の感染者が確認された)今年3月ごろ、私がエレベーターに乗ると周りが「え?」となる雰囲気を感じたりすることがあり、誰に何を言われたわけではないが「私は無関係です」という顔をしたい時期があった。911から少し後になり、アメリカで(無関係の)イスラム教徒への敵意が広まり、ムスリムの人々が差別されるようになったことを思い出した。
「頑張ろう」という気持ちのエネルギーは、今回の新型コロナ騒動より911の時の方がもっとあった気がする。
米同時多発テロから19年。ニューヨークに住む人々にとって911はどんな日だったのか(後編)
911それぞれの記憶2「アポカリプス(世紀末)のようだった日」
ロバート・レンプリー(Robert Rempley)さん・42歳・コーヒーマスター
ニューヨークに住んでツインタワー(世界貿易センタービル)を訪れたことがある人はそんなに多くないかもしれないけど、私は3度訪れたことがある。
母方の親戚がフランスから遊びに来る度に展望台を案内し、絶景を眺めながら食べるピザは最高だった。ツインタワーは我々フランス系にとって特別な場所だ。有名なフランスの大道芸人、フィリップ・プティ(Philippe Petit)が1974年、ツインビルの屋上同士をワイヤーで繋ぎその上を歩くという偉業を成し遂げた場所だから。映画『マン・オン・ワイヤー』にもなった出来事だ。
目を閉じると、19年前の出来事が昨日のことのように浮かんでくる。
2001年、私は23歳だった。
当時私はJFK国際空港近くの、ジャマイカ湾が見渡せるアパートの11階に住み、ブルックリンにある大学、シティテック(New York City College of Technology)に通っていた。
9月11日の朝、学校に着くとクラスメートが「飛行機がビルに突っ込んだ!」と興奮しながら言ってきたが、何のことかよくわからなかった。廊下には授業で使うテレビが ー 当時のものはフラットスクリーンではなく大きなボックス型のものだった ー が置かれていたのでスイッチを入れ、皆でかじりつくように見入った。炎と黒煙で燃え盛るツインタワーが映し出され、ニュースキャスターは「旅客機は世界貿易センターのみならずペンタゴンにも突っ込んだ」と言った。皆ショックを受け勉強どころではなく、すぐに休講になった。実際に飛行機がビルに突入するのを見た友人はトラウマになり、1ヵ月ほど学校に姿を現さなくなってしまった。
帰宅はこれまで経験したことがないほど大変だった。避難する人々でどの地下鉄の電車も満員だった。友人の車に乗せてもらうことになったが、車道も高速道路も大渋滞で、少しだけ動いてはしばらく止まりの繰り返し。車で20分の距離がこの日は3時間もかかってしまった。その間、携帯電話がまったく通じなかった。安否確認のために皆がいっせいに電話をかけたからだろう。家族や彼女と連絡ができない状態にやきもきした。
私はずっと自分のケータイを見つめた。何度も何度も。ネイビーブルーのMitsubishiの機種だった。私はそれ以降、もっとかっこいい機種に何度も変えてきたけど、どんな色とデザインだったかさっぱり覚えていない。でもこのMitsubishiのケータイだけははっきりと覚えているし、これからも忘れないだろう。
昨日のことのように鮮明に覚えていることは、ほかにもいくつかある。
まず空と匂いだ。一言で表現するなら「アポカリプス(世紀末)」だ。大火事で空一面に煙が覆っていたが、タバコのような薄いものではなく、濃くて厚い黒煙だった。メタルやプラスチックのようなものが焼け焦げて溶けたような匂いも充満していた。
音もはっきり覚えている。自宅周辺では通常、1日に何千もの飛行機が離着陸を繰り返す。その音は騒音などではなく、聞こえるのが当たり前で私たちの生活の一部だった。しかしこの日すべての航空機が運航中止になったので、自宅周辺はシーンと静まり返った。それが逆にぎこちないというか、非日常を助長した。
もともとこの日は帰宅後、彼女の故郷ポーランドへの航空券を買いに行く予定を以前から立てていた。彼女の21歳の誕生日が12月なので、祖母や友人へ挨拶をしようと計画していたのだ。4機もの旅客機が事故を起こしたら、普通は航空券など買おうなんて思わないのかもしれない。しかし、私たちは怖いもの知らずの若者だった。帰宅後に家族の無事を確認したら、ほかにやることもないので「よっしゃ、予定通りに買いに行くか」となった。航空券 ー スマホもエクスペディアもない時代は、旅行代理店に足を運んで買うものだった ー はその日買いに行って正解だった。ヨーロッパへの往復航空券は通常1000ドル(約10万円)するが、その日は200ドル(約2万円)に値下がりしたから。
今まで誰も経験したことのない悲劇が実際に近くで起こったというのが、ニューヨークに住む人々にとっての911だった。深い悲しみや今後の不安はあったけど、怒りや恐怖のような気持ちはなかった。ただ1つだけ、心が重く感じたことはあった。
テロが起こった後にCNNニュースを観ていたら、中東のどこかの国で大勢の人々が、まるでカーニバルのように路上でダンスをし陽気に歌いながら、テロの成功を祝っている姿が映し出された。ニュースキャスターは歌の内容をこのように解説した。
「イスラエルは蛇、ニューヨークは蛇の頭。蛇の頭が切り落とされた」
ニューヨークにはたくさん裕福なユダヤ人が住んでおり、イスラエルが武器を購入できるよう資金面で支援をしている。イスラエルを邪悪のシンボルである蛇と例え、その頭(資金源)であるニューヨークを破壊した、ということだった。私はその映像を観て、too much(度を越し過ぎて不快)な気分になった。
そもそもあのビルにはムスリムの人たちもたくさん働いていた。ほかにもオフィスに勤務する人、レストランで働く人、清掃や警備の人など罪のない人々がたくさん亡くなった。正々堂々と戦争をすればいいのに卑怯なやり方だと思った。なぜそんなことをして気分良くいられるか、とても信じがたかった。
一方アメリカではテロが起こった夜、何が起こったか。それは人々に希望や魂を与える動きだった。有名人が自主的に次々と手を挙げ、ファウンドレイズのイベントを行った。塞ぎこむんじゃなくて、とにかくポジティブなことをやっていこうとする動きはアメリカ各地で沸き起こり、その後ロンドンなどにも伝染した。
またこれは偶然の重なりだが、テロが起こる4週間前、歌手のエンリケ・イグレシアスが『ヒーロー』という曲をリリースしたばかりだった。「I can be your hero baby~」というサビで大ヒットしたが、ツインタワーの救出活動で亡くなった340人以上の消防士や警察官、復興作業をする人々をヒーローと呼び、彼らを讃える曲として完璧なほどにフィットしていた。アメリカでは、復興のシンボルとしてしばらくこの曲がずっとこだました。この曲を聞くと、いつもあの頃を思い出す。
911は、世界を永遠に変えた。例えば空港のセキュリティで必ず靴を脱がなければならなくなったのは911がきっかけだ。今では信じられないが、以前は家族がフランスに旅立つ際に、空港のゲートまで一緒に行って見送っていた。今はそんなことができた時代が懐かしい。
今年も、新型コロナウイルスのパンデミックで再び世界の常識が変わろうとしている。感染拡大が落ち着いた今も多くの人々が自宅勤務を続け、学校の授業はオンラインに移行し、ソーシャライズやエクササイズなどライフスタイル全体が遠隔でするものに変わりつつある。自宅で家事をしながら、子育てをしながら仕事をするようになった。遠隔業務が可能であることがわかった以上、高すぎるマンハッタンのオフィス賃料を今後も払い続けたいと思う経営者はどのくらいいるだろうか?
911はアルカイダというテロ組織による行為だったが、ムスリムに対しての差別問題が起こったのは悲劇的だった。私にはアメリカ生まれでこの国を愛するムスリムの友人がいる。彼はオサマというレストランを経営していて、911後に店名を変えなければならなかった。街では、中東出身のタクシー運転手に向かって「お前はテロリストだ」と叫んでいる人も見かけた。ケバブを食べていたら「なんでテロリストの食べ物を食べているんだ」と冗談混じりに言われたこともある。
今年3月に新型コロナウイルス騒動が始まり、同じようなことを見聞きした。例えば地下鉄でたくさんアジア人差別を見た。年老いたホームレス風の人がアジア人女性に向かって「なぜウイルスをアメリカに持ってきたんだ!」と叫ぶ声を聞いた。本当に愚かなことが繰り返されている。
差別をなくすためには、怒りの感情はいらない。正しい知識と理性による繊細な行動が必要ではないだろうか。
2020年の主な記念式典 in NY
毎年9月11日には、世界貿易センター跡地の「グラウンド・ゼロ」で追悼式典が行われ、遺族らが犠牲者の名を一人ひとり読み上げ、飛行機がビルに突入した同時刻に黙祷を捧げている。しかし今年は新型コロナ対策で人の密度を少なくするため、事前に録画した内容を流すなど新たな試みがなされる。ほかに、規模を縮小した追悼イベントが個々で行われる予定。
世界貿易センターに見立てた2本の青い光が夜空を照らす毎年恒例の「トリビュート・イン・ライト」は、予定通り行われる。
