3月8日が命日「忠犬ハチ公」に世界の人が泣いてしまうワケ

3月8日が命日「忠犬ハチ公」に世界の人が泣いてしまうワケ

3月4日、香港政府は新型コロナウイルスに感染していた女性の飼い犬が、ウイルスに感染していたと発表した。香港政府はペットの動物がウイルスを広めるという証拠はないとして、市民にはペットを捨てないように強く求めているという。日本で最も有名なイヌ「忠犬ハチ」は、早くに主人との別れを体験したイヌだ。主人と別れたイヌはその後どうなったのか。3月8日のハチの命日にあわせて、その逸話を紹介しよう――。

3月8日は忠犬ハチ公の命日

3月4日、香港政府は新型コロナウイルスに感染していた女性の飼い犬が、低レベルではあるがウイルスに感染していたと発表した。ヒトからイヌに感染したとみられている。香港政府は今のところ、ペットの動物がウイルスを広めるという証拠はないとして、市民にはペットを捨てないように強く求めているという。

このニュースを聞いて、私は「忠犬ハチ公」の臨終と弔いのエピソードを思い出した。ハチは捨てられたわけではないが、主人が亡くなった後の10年間、渋谷駅で帰りを待ち続けた。この逸話は多くの人を感動させ、1935年に行われたハチの葬式は、近世における初の本格的なペット葬といえるほど盛大なものだった。

コロナウイルスの心配があるからといって、ペットを捨てるという人が本当にいるだろうか。その一方、主人と別れてしまったペットは、その後どうなるのか。実は3月8日はハチの命日だ。この日に合わせて、ハチの逸話をご紹介したい。

ハチと博士との生活はわずか1年ほどで終わる

このところ渋谷駅前のハチ公像は、海外旅行客の聖地と化し、ハチ公像と一緒に写真を撮りたいという目的のためだけに来日する外国人観光客もいるほどだ。海外からこれほど人気を集めている理由は2009年、ハリウッドでリチャード・ギア主演の映画『HACHI 約束の犬』(『ハチ公物語』のリメイク版)が公開され、大評判を得たからだと言われている。

ちなみにリチャード・ギアは敬虔な仏教徒だ。日本人の死生観が伝わる本作品の脚本を渡された時、彼は涙を流して感動したという。

秋田犬のハチは1923(大正12)年、大館市生まれ。

当時、日本人の富裕層の間で秋田犬を飼うのが一種のステータスになっていた。渋谷区松濤地区に居を構えていた東京帝国大学農学部の上野英三郎博士もそのひとりであった。ハチは上野家にやってくると、東大へと出勤する上野博士のお供をし、渋谷駅まで送り迎えするのが日課になった。

だが、上野博士が脳溢血で急死。ハチと博士との生活はわずか1年ほどで終わる。ハチは上野家のお抱えであった代々木の植木屋に預けられ、上野家は引っ越してしまう。

なぜ「忠犬」として一躍有名犬になったのか

しかし、ハチは代々木から渋谷駅に通い詰め、主人の姿をくる日もくる日も探し続けた。その様子を不憫に思った日本犬保存会会長が朝日新聞に投書したことがきっかけで、美談になり、「忠犬」として一躍有名犬になったのだ。

ハチ公ブームは熱を帯び、生前に渋谷駅前に銅像ができた。この銅像は戦中の金属供出によって撤去され、現在のハチ公像は戦後に作られた2代目である。

上野博士の死から10年が経過した1935(昭和10)年3月8日未明。ハチは渋谷駅東口で息絶えているところを発見された。享年13歳。遺体は生前、ハチがよくたむろしていた駅の小荷物室に安置された。上野博士の妻、そして植木屋の家族らが続々、駅に駆けつけた。そして末期の水が与えられ、毛並みが整えられるなどの「死化粧」が施された。

さらに、渋谷駅舎を使って人間と同様の葬式が行われることになったのである。地元渋谷の仏教会からは導師(法会・葬儀を主になって行う僧)・伴僧(導師につき従う僧)計16人が呼ばれた。こんな盛大な葬式は、高僧の葬式でもなかなかないことだ。

ハチの死が新聞などで報じられると、渋谷駅がにわかにごったがえし始める。ハチの像は花で埋め尽くされ、大好物だったチョコレートなどが供えられ、駅には香典、電報が続々と届くなど、著名人の葬式顔負けの、ド派手なペット葬が執り行われたのである。

胃には大小4本の焼き鳥の串が、心臓・肺には悪性腫瘍があった

ハチの葬式は、近世における初の本格的なペット葬と言える。「ペット国葬」とも言うべきか。ちなみに一周忌は渋谷駅の銅像前で実施された。だが、話はそれだけでは終わらない。

葬儀・告別式が終わると、遺体は上野博士が勤務した東大農学部に運ばれ、病理解剖されることになった。その結果、寄生虫のフィラリアが肝臓や心臓に見つかった。また、胃には大小4本の焼き鳥の串があったという。

現在、東大弥生キャンパスの農正門を入った右側にある農学資料館に、ハチの心臓と肺がホルマリン漬けになって展示され、誰でも見ることができる。ハチの死因についてはフィラリア説、焼き鳥の串が胃に刺さったことによる事故死説など長年、さまざまな議論を呼んだ。

しかし、2011(平成23)年、東大の保存臓器をMRIで分析したところ、心臓と肺に悪性腫瘍が発見された。現在では、ガンが死因になった可能性が高いとされている。

病理解剖を終えたハチはその後、国立科学博物館に運ばれ、剥製にされることが決まった。そして6月15日に同館で開眼式が行われ、広く公開されることになった。現在も国立科学博物館にて常設展示されており、生前の凛々しいハチの姿を見ることができる。

ハチは生前、他の犬とけんかをして左耳の軟骨を痛めていた。そのため左耳だけが垂れ下がっているのが在りし日の本当の姿である。渋谷のハチ公像は左耳が垂れ下がっており、忠実に再現されていることがわかる。

剥製のほうは「秋田犬はかくあるべし」との理想の元に、ハチの左耳はピンと伸ばして整形された。

臓器はホルマリン漬けにされ、毛皮と爪は剥製にされたが、肝心の遺骨はどうなったか。実は骨格標本にされ、日本犬保存会会長の元に預けられていた。ところが1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲で焼失してしまった。なんとも残念なことだ。

なぜ、ハチ公のお墓には今も花や折り鶴を供えられているのか

では、ハチの墓は存在しないのだろうか。

いや、ハチの墓は都立青山霊園の一角にある。上野家の墓所の入り口に犬小屋のようなかわいらしい石祠が立てられ、博士の墓に寄り添っている。それを見ただけで、ハチがいかに飼い主に忠実だったか、上野博士がいかにハチをかわいがったかが伝わってきて、心が温かくなる。

ハチの墓の中には遺骨は存在しないが、ホルマリン漬けされていない臓器や筋肉などが納められたという記述が残っている。ハチの墓には世界中からファンがやってきて、花や折り鶴を供える姿が見られる。一方で、飼い主の上野博士の墓のほうにはあまりお供物がないのをみると、少し寂しく感じてしまう。

人間よりもペットのほうが篤く弔われているのは、ハチの事例に限ったことではない。それはペット霊園を抱える公共霊園で見比べれば、一目瞭然である。先祖代々の墓にはモチのひとつも供えないのに、愛犬の墓の前には「ステーキ」や「尾頭付きの鯛」などをお供えして、飼い主が人目をはばからず涙を流す、といった対照的な光景は珍しくない。

それは、人間社会は核家族化などによって親族関係が分断され、希薄になってきている一方で、ペットは「かけがえのない家族」であり続けているからだろう。近い距離で心が通い合っていれば「きちんと手を合わせたい」と考えるのが、本来の日本人の供養心なのだ。

ハチ公像や剥製も、見方を変えれば「ハチの墓」といえるかもしれない。ハチの命日は、3月8日。今年は法要を行う節目ではないが、細かく言えば「86回忌」にあたる。渋谷や国立科学博物館を訪れることがあれば、そっと手を合わせていただきたいと思う。百回忌を迎えるのは2034年。その時、ハチ公前ではきっと盛大な法要が行われていることだろう。

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