ローマ教皇が日本来日で残した「珠玉の言葉」 "ゾンビのような生活"への警鐘

ローマ教皇が日本来日で残した「珠玉の言葉」 "ゾンビのような生活"への警鐘

 11月25日、東京ドームは5万人の熱気に包まれていた。日本では38年ぶりとなるカトリックの頂点・ローマ教皇によるミサのためだ。

 来日記念として、現地ではファイルや記念メダル、Tシャツ、キャップなどの教皇グッズの販売も行われていた。「SOLD OUT」のグッズもあり、そのすさまじい人気ぶりがうかがえた。

 午後4時、参加者のテンションが上がる中、テーマ・ソング「PROTECT ALL LIFE 〜時のしるし〜」の歌が始まると、フランシスコ教皇がトヨタの燃料電池車「MIRAI(ミライ)」の特注のエコカー、「パパモービレ」に乗って現れた。笑顔で手を振り、時折、幼子に祝福を与えながらゆっくりとグラウンドを一周する教皇に、信徒たちは熱狂した。

 今回のミサは、アジア各国からはもちろん、南米、ヨーロッパからも多数のメディアが取材のため来日していた。記者の中には敬虔な信徒もおり、ミサの最中、聖体拝領のときには、レポートを放り出して記者席を飛び出し、パンを授かりにグラウンドまで出て行く人もいたのが印象的だった。

教皇のユーモアとアドリブ

 最も注目すべきは、フランシスコ教皇からのメッセージである。長崎では核廃絶に向けての平和のメッセージを述べ、広島では戦争での原子力使用を犯罪だと語った。また、東日本大震災の被害者との面会では復興を勇気づけ、また原発に対する懸念を表明。そして若者たちとの「青年との集い」では、いじめや差別の問題について述べた。

 「太っていると言われたら、そっちが痩せすぎなんだと言い返すんだよ!」

 ドームでのミサの前、午前中に行われた「青年との集い」では、3人の若者の悩みを聞き、それに対して教皇は用意されたテキストをそのまま読むのではなく、ユーモアのあるアドリブを交えながら自らの言葉で語った。また、社会から阻害されている「孤独」については、弱者の孤独に寄り添い続けたマザー・テレサの例を出し、受け入れることの大切さを説いた。

 途中で話が独りよがりにならないように、「この話はつまらない?」と聴衆に問いかける。「No!」という言葉が返ってくると、間をおいて「もうすぐ終わるから」と言って話し出す。こういったユーモアのセンスが教派を問わず、多くの人に親しみやすさを感じさせるのだろう。教皇は、青年たちからプレゼントされた教皇のイラスト入りの法被(はっぴ)を白い法衣の上から着て写真を撮るなど、サービス精神も旺盛だった。

 東京ドームのミサでの説教では、教皇は「日本は、経済的には高度に発展した社会だが、今朝の若者たちとの集いの中で気づかされたことがある」と語り始めた。そこには38年前にはなかった、「経済戦争」に対しての警鐘の言葉が含まれていた。

未来は多種性、多様性にこそ、実現するもの

 「いのちの意味がわからず、自分の存在の意味を見いだせず、社会からはみ出していると感じている人が多く、家庭、学校、共同体は、一人ひとりが支えを見いだし、他者を支える場であるべきなのに、利益とか効率を追求する過剰な競争意識によってますます傷ついていて、多くの人が当惑し、不安を感じています。過剰な要求や平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされているのです」

 教皇はこう述べた。競争力や生産性を追いかけてばかりだと、日常生活で感動したりする感性が失われてしまう。他者と共存していく人生を喜べずに、心の鼓動は止まってしまう、それはまるでゾンビのようだと語った。

 「主イエスは食料や衣服といった必需品が重要ではないとおっしゃっているのではありません。何としても、命をかけてまで成功を追求したいという思いに心がとらわれてしまい、孤立することがないよう、わたしたちの日々の選択について振り返るよう招いておられるのです」

 「青年との集い」の中では日本の若者には文化的、宗教的な多様性が存在していて、未来はモノトーン一色ではなく、多種性、多様性にこそ、実現するものだと語った。

 「世俗の姿勢は、この世での己の利益や利潤のみを追い求め、利己主義は個人の幸せを熱望しますが、実際には巧妙にわたしたちを不幸な奴隷にしてしまいます。そのうえ、真に調和のある人間的な社会の発展を阻むのです」

 教皇は政治的な影響力も多大だ。これまでもトランプ大統領の政策に対してもはっきりと批判をしてきた。

 「完全でなく、純粋でも洗練されていなくても、愛をかけるに値しないと思ったとしても、丸ごとすべてを受け入れる。そして障害をもつ人や、弱い人を受け入れ、共同体として傷ついた人を癒やし、和解とゆるしの道をつねに示す野戦病院となることです」

 教皇は教会の役割として、どのような人も受け入れる「野戦病院」となることを提唱した。司祭に対しても教会の中にいるのではなく、外へ出なさいと諭す。そして貧しい人、声を上げられない人の声を聞き、実際に何が起こっているかを自らの目で確かめることが大事だと説いている。それを実践しているのがまさにフランシスコ教皇なのだ。

カトリックの改革はまだ道半ば

 しかしながら、歴史と伝統に守られてきたカトリックの改革はまだ道半ばである。25日、母国アルゼンチンの裁判所は、聴覚障害児童に性的虐待を行った罪で、加害者の2人の司祭に懲役40年以上という判決を下した。教皇はブエノスアイレス大司教だったこともあり、責任を問う声も挙がっているという。82歳という高齢でもあるため、在位中にできる限り改革を推し進めなければならないという思いが教皇にはある。

 日本におけるカトリック信者の数そのものは高齢化社会、少子化によって減少の一途をたどっているが、フランシスコ教皇のオフィシャル・ツイッターのフォロワー数は1800万を超えている。今回の訪日でも異なる世代に対して、わかりやすい言葉で伝えようとする教皇の言葉に感銘を受けた人も多いだろう。

 社会生活の中で窮地に追い込まれたり、孤独を感じたときにこそ、教皇の言葉は生きてくるのではないだろうか。

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