五輪で金の可能性は? “フェンシング世界1位”見延が語る“賭け”

五輪で金の可能性は? “フェンシング世界1位”見延が語る“賭け”

 2020年東京五輪で活躍が期待される選手を紹介する連載「2020の肖像」。第9回は、日本選手として初めて年間の世界ランキング1位を記録したフェンシング男子エペの見延和靖(32)。日本の第一人者だった、2008年北京五輪男子フルーレ銀メダリストの太田雄貴すら成し遂げられなかった偉業だ。日本の新エースは、20年東京五輪の金メダルへと突き進んでいる。朝日新聞社スポーツ部・河野正樹氏が、世界ランキング1位までの道のりを聞いた。

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 前年の世界ランキング1位の選手が五輪で金メダルを取る可能性はどれくらいか。そう聞くと、見延は悩みながら答えた。

「高くはない。50%もない。20~30%ぐらいでしょうか」

 フェンシングは、番狂わせの多い競技と言われる。個人戦は15点先取で決まる短期決戦だ。五輪でも、世界ランキング1位の選手が負けることは決して珍しくない。過去には100位台の選手が金メダルを取ったことがある。

 今年7月にハンガリーであった世界選手権男子サーブルで、世界ランキング41位(11月14日現在)の吉田健人(警視庁)が五輪2連覇中の地元の英雄アロン・シラギを破ったのがいい例だ。ましてエペはフェンシングの中で最も人気があり、競技人口が多く、層も厚い。見延といえども、うかうかしていられない。

「40歳までフェンシングを続ける。まだまだ成長できる」

 と見延は言う。多くの五輪選手が幼少期からその競技にいそしむ中、見延がフェンシングを始めたのは高校に入ってからだ。

 福井県出身で、小学校では空手、中学校はバレーボールとどれも抜群の運動神経で上手にこなしていた。なのに、なぜフェンシングだったのか。

 きっかけは父の勧めだった。勉強が決して得意ではなかった見延に、

「フェンシングで全国高校総体で上位に行けば、東京の大学の推薦がもらえる」

 と教えてくれたからだ。全国でもフェンシングの強豪と言われる福井県立武生(たけふ)商高に進学した。

 フェンシングを始めると、

「空手のような対人競技が好きで、それでいて、空手ほどは危険じゃないし、痛くない。子どもだから剣を振り回すのは好きだし、楽しい競技」

 と気に入った。練習であっても、どんな試合でも目の前の相手に負けたくないという負けん気の強さも競技に向いていた。

 見延には、フェンシング選手として圧倒的に有利な身体的な特徴がある。それは、腕の長さだ。見延は身長177センチで、190センチ台もいるエペでは小柄な部類に入る。両腕を広げて端から端まで測ると、通常なら身長とほぼ同じ長さになるが、見延の場合は197センチと20センチも長い。1年前から1センチ伸びたといい、

「まだ成長中。2メートル超えたら病院に行こうかな」

 と冗談めかして話す。

 高校の同期で、男子サーブル日本代表の徳南堅太(デロイトトーマツコンサルティング)は、こう解説する。

「当時から手が長かった。フェンシングは剣の先に触れられただけで負けになってしまうので、圧倒的に有利」

 相手選手は通常の距離感とは違い、予想を超える長さのため戸惑うのだという。

 それに加え、見延はその特徴を生かすために、フレンチグリップと呼ばれる剣を使用する。剣にはピストルのように握るベルジアングリップと、柄が棒状のフレンチグリップと呼ばれる2種類がある。フレンチはベルジアンに比べて、長く持てるという利点がある一方、操作性は難しい。

 見延はより長く見せるようにするために、フレンチを選ぶ。劣る操作性は手首を使いながらカバーするのだが、

「普通の選手ならば手首のけがをする。外国人選手ならタブーとする動きだ」

 と北京五輪男子エペ代表で現日本代表コーチの西田祥吾は指摘する。

 持ち前の体の強さがあるからこそ可能な見延だけの動きなのだ。肩甲骨の可動域が広く、通常の選手よりも動きがダイナミックだという。

 こうした能力に加え、海外での武者修行が見延を変えた。12年ロンドン五輪で出場権を逃すと、

「このままではいけない。自分が変わらなければ……」

 と韓国、イタリアに武者修行に出た。日本ではフルーレのほうがメジャーで、エペは競技人口が少なく、指導者も少ないからだ。

「自分で強くなるためには何が必要かを考えて、行動に起こせるのが見延の強さ」

 と見延の母校・法政大の元監督で、日本フェンシング協会の強化委員長を務めたことがある斉田守は言う。

 特に、13年のイタリアでの修行は見延を大きく変えた。門をたたいたのは、北京五輪金メダルのマテオ・タリアローリが所属するクラブだ。日本での指導はフルーレをベースにしているため、エペではあり得ない動きをしている場合がある。そんな基礎から学び直し、最先端の技術を採り入れた。

 成果はさっそく出た。15年にはワールドカップ(W杯)タリン大会で、日本選手として初めて男子エペで優勝。16年リオデジャネイロ五輪にも出場し、日本選手で初めて同種目で6位に入賞した。そして、世界ランキング1位と階段を順調に上り、20年の東京五輪を迎えることになる。

 現在は、五輪本番のことを考えるよりも、11月から始まった東京五輪の出場権を獲得するレースのことで頭がいっぱいだ。

「まずは出場枠を取るためのプレーをしないといけない」

 視線の先にあるのは、個人戦だけではない。世界各地で行われるW杯の団体戦で結果を残し、日本男子エペ団体として64年東京五輪以来の五輪出場を狙う。

「世界ランキング1位はシーズンを通しての戦い方であって、五輪に勝つための戦い方とは違う」

 と分析している。大会にピークを合わせ、かつ相手に読まれにくいフェンシングをする必要がある。

 そのためには何が必要か。見延は言う。

「手探りだが、たぶん一つ言えるのは、自分の何かを壊していくこと」

 五輪出場が決まったあと、新たなスタイルを採り入れるのではなく、自分のスタイルを一回否定してみることが必要だという。それは賭けであり、勇気もいることだ。それでも迷いはない。

「五輪に出たところで、その日勝てるかどうかはふたを開けてみないとわからない。そのぐらい博打(ばくち)を打ったほうが、勝つ確率は上がる」

 世界1位を守るのではなく、攻める。それが見延の姿勢だ。

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