京アニ爆殺犯を死なせてはいけない…「吐きそうになりながら」治療を続ける医師たち
35人が犠牲になった「京都アニメーション」(京アニ)の放火殺人事件。容疑者である青葉真司(41)は自らも重度のやけどを負ったが、彼が命を落とすと、事件の真相は永遠に闇の中だ。最悪の結末を避けるため、医師たちは懸命の治療を続けている。葛藤と戦いながら。
事件の9日後、津田伸一さん(69)は娘の幸恵(さちえ)さん(41)の遺体と対面した。
「その前日に遺体を引き取っていたのですが、焼死の遺体がどれほどのものなのか聞いてはいましたから、すぐに対面することは出来ませんでした」
と、伸一さんは言葉を絞り出す。
「翌日、通夜の日の朝に家族で唯一私だけが対面しました。だけどね……聞いていた以上で……とてもじっと見られる状態ではありませんでした。でも、やっと帰ってきた。ずいぶんかかったけど、やっと幸恵が帰ってきた、と思いました」
幸恵さんを含む35人の命はなぜ奪われなければならなかったのか――。
殺人事件として戦後最悪の犠牲者数となった今回の惨劇を引き起こした青葉真司容疑者は、自らも重度のやけどを負った。7月27日までに意識は回復したものの、依然重篤な状態が続いており、本人の口から動機が語られるのはまだ先のことになりそうだ。しかし無論、捜査を行う京都府警とて青葉容疑者の容態が回復するのをただ手をこまねいて待っているわけではない。徐々に分かってきた事件直前の青葉容疑者の足取り。そこから見えてきたのは、ある京アニ作品との「接点」だ。
埼玉県さいたま市で暮らしていた青葉容疑者が新幹線で京都に入ったのは、7月15日のことだった。
「青葉は16日の午後、宇治市の宇治橋西詰交差点やJR宇治駅、宇治橋通り商店街の西端などに出没していたことが防犯カメラの映像で分かっていますが、これらはいずれも、京アニが制作した人気アニメの『聖地』とされた場所だったのです。アニメゆかりの場所を巡る行為、いわゆる『聖地巡礼』をしていたものと見られます」(捜査関係者)
その人気アニメは、「響け! ユーフォニアム」。「北宇治高校」の吹奏楽部を舞台にした物語だけに宇治市内に「聖地」が多いのだが、その中には、土地勘がなければ立ち寄るのが難しい場所もある。
「青葉はスマートフォンや地図なしで行動していたと見られています。それでも、入り組んだ場所にある『聖地』に辿りつけており、このアニメのことを熟知している可能性がある」(同)
17日にJR宇治駅近くのホームセンターでガソリンの携行缶や台車を購入。そして、翌18日午前10時半頃、京アニの第1スタジオに玄関から侵入した青葉容疑者は、バケツでガソリンをまいて火を付けた。
事件を起こしたことによって自らも生死の境を彷徨うはめになった青葉容疑者が意識を取り戻した、とのニュースが流れた際、〈良いことだが、複雑〉といった声がネット上で散見された。しかし、「容疑者の死」こそが最悪の結末であることは言うまでもない。真相究明の機会が永久に失われ、「何があったのか知りたい」という遺族の希望に応えられなくなってしまうからである。
しかも今回の事件では、青葉容疑者の行く末にはすでに、「死刑」の2文字がちらついている。事件を起こしたことによって自らも命を落とすのと、法の裁きによって命を奪われることは、同じ死でも全く意味が違う。遺族が望むのが後者であることは自明だ。
では、青葉容疑者を生きながらえさせるために、病院では何が行われているのか。
「やけどの深さは大きく分けるとI度からIII度に分類される。青葉はIII度で、皮下組織まで傷害が及んだ状態。やけどを負った範囲は、体の表面積の10%以上。事件直後は京都市内の病院に運ばれましたが、その後、重症熱傷の治療経験が豊富な大阪の大学病院に移り、皮膚移植などの治療を受けている」(同)
日本熱傷学会代表理事で東京女子医大教授の櫻井裕之氏が言う。
「重症の患者は、受傷直後はやけどの患部から水分やタンパク成分などがどんどん失われていき、脱水状態になる。それらを補うために大量に輸液する。そうしないと体内の血液の量が減少してショック状態となり、命に関わるのです」
ただし、事件からすでに2週間以上が経過しており、治療は「次の段階」に進んでいると見られる。
「やけどした部分は組織が死んでしまっているため、細菌が繁殖する。だから、手術を行い、死んでしまった組織を取り除き、さらに、皮膚を移植してその部分を閉じる必要があります」
と、櫻井氏。
「本人の意識が戻ったといっても、予断を許さない状況であることには変わりないと思います。熱傷創の閉鎖が完全に終わらない限り感染症のリスクはつきまとう。急変し、命を落とす可能性も十分にある」
吐きそうになりながら…
凶悪犯罪の容疑者、犯人に対する医療行為というテーマを取り上げたドラマや漫画を見つけるのはそれほど難しくない。例えば、アメリカの人気ドラマ「グレイズ・アナトミー」には、銃乱射事件を起こして自らも重傷を負った犯人に対峙する医師の苦悩を描いた回がある。手塚治虫の「ブラック・ジャック」では、父親を殺した後に自殺を図り、主人公の手術で一命を取り留めるも、最後は死刑によって命を奪われる少年の姿が描かれる。
では、フィクションの世界ではなく、現実世界で青葉容疑者と対峙している医師の心情はいかなるものなのか。
「今回の容疑者を治療するスタッフは、毎日吐きそうになりながら頑張っているのかもしれません」
そう話すのは、『医者の本音』の著者で総合南東北病院外科医長の中山祐次郎氏。事件後、ウェブメディアに〈京アニ放火事件の容疑者を治療するということ 葛藤と苦悩〉との記事を投稿した中山氏は複数回、「容疑者」という立場の人間を治療したことがある。
「プロであるなら淡々と治療すべきだという考え方はもちろん理解しています。しかし私の場合、感情が全く入らなかったかと言えば嘘になります」
中山氏はそう“告白”し、こう続けるのだ。
「そうした患者さんにも当然、治療を施すわけですが、『なぜ、私はこの人を助けなければならないのか』『悪いことをした人になぜ尽くさなければならないのか』といった気持ちになってしまうのです」
その後、医者としてのキャリアを積むことで、“病気を憎んで人を憎まず”といった考えに至ったという中山氏。
「医療者は、神様でも裁判官でもありません。ただただ人の命を救うべき存在です。しかし、現実的には苦悩と葛藤を押し殺しながら治療にあたっている医療者もいる。それを書くことが、今、病院で容疑者の治療にあたっている医療者への声援になると考えました」
まだ青葉容疑者は重篤な状態を脱していない。緊迫と葛藤の集中治療室では、今この瞬間も懸命の治療が行われている――。
京アニ爆殺犯の死刑に立ちはだかる「刑法39条」の壁
殺人事件として戦後最悪の犠牲者数を記録してしまった京都アニメーションの惨劇。青葉真司容疑者(41)の行く末に、すでに「死刑」の2文字がちらついていることは言うまでもないが、気になることが一つ。京都府警の捜査1課長は記者会見した際、こう述べたのだ。「(青葉容疑者に)精神的な疾患があるとの情報を把握している」――。
全国紙社会部デスクはこう語る。
「取材の中で出てきたのは、青葉は統合失調症ではないか、という情報。あと、精神障害2級と判定されていた、という話もあります」
精神障害者保健福祉手帳の障害等級には1級から3級まである。
「精神障害者手帳は、この病気なら何級、と分類されるものではありません。ごく簡潔に言えば、2級は、適切な食事摂取、通院・服薬、他者との適切な意思伝達などで援助を必要とする人に交付されます」
と、精神科医の片田珠美氏は言う。
「統合失調症は、かつては精神分裂病と呼ばれていましたが、家族会や患者会から、病名がネガティブな印象を与えると抗議があり、呼称が変わりました。統合失調症になると、幻覚・妄想といった病的体験が出現し、自我境界が曖昧になり、自分自身の行為が他人に操られていると感じるなど、自我障害が現れます」
青葉容疑者の言動からは、統合失調症のいくつかの症状が見て取れると言う。
「まず、思考奪取。“自分の考えが奪われた、盗まれた”と感じてしまう症状で、そのせいで彼は“小説をパクられた”という被害妄想を抱いたのでしょう。被害妄想があると仕返しとしての攻撃を正当化しがちです。さらに、幻聴。幻聴を大きな音でかき消そうとしていたため、近隣住民との騒音トラブルが起こっていたのかもしれません」(同)
用意周到
元東京地検特捜部副部長で弁護士の若狭勝氏の話。
「彼が統合失調症を患っていて精神障害者手帳2級を持っており、責任能力に問題があるかもしれない、となれば、まずは精神鑑定を行うことになります」
そこで、犯行時の青葉容疑者が「心神喪失」あるいは「心神耗弱」の状態にあったか否かが判断され、前者だと認められると、刑法第39条により、無罪となる可能性も。
「責任能力とは、『物事の善悪の区別が出来る』ことと、『やってはいけないことをやらないという判断が出来る』ことです」
そう語るのは、甲南大学法科大学院教授の渡辺修氏。
「青葉容疑者の場合、犯行は用意周到でした。包丁やハンマー、携行缶を用意し、事前にガソリンを購入している。さらに、犯行時には“死ね”と言っている。犯行のために意味のある行動をし、善悪を判断出来た上で行動していると思います。心神耗弱と言えるかすらも怪しく、死刑の余地は十分にあるでしょう」
しかし、仮に心神耗弱が認められれば無期懲役になる恐れもある。
先の若狭氏はこう話す。
「青葉容疑者への刑罰を巡る考え方のスタート地点は、やはり死刑でしょう。私の考えを言えば、今回の事件はいくら容疑者が統合失調症だったとしても、彼が病気に支配されて犯行に及んだわけではないと思う。犯行は計画的だし、警察官に確保された際も、『火をつけた』など、受け答えが出来ていますから」
犠牲者の家族が望むのは、極刑以外にはあり得まい。