遺品が物語る「あの日」広島原爆資料館改装 実物展示に重点

遺品が物語る「あの日」広島原爆資料館改装 実物展示に重点

 原爆犠牲者の遺品など2万点を所蔵・展示する広島市の原爆資料館は今年4月、約30年ぶりに本館を改装し、写真や遺品といった実物資料に重点を置く展示内容に一新した。被爆者の平均年齢が82歳を超える中、いかに「あの日」と「今」をつなぎ、その実相を伝えるか。広島への原爆投下から6日で74年。記憶の継承と発信を担う資料館の取り組みを探った。(有年由貴子)

 血がにじむ子供服、黒く焼け焦げた弁当箱、爆風でゆがんだ鉄骨のはり-。

 本館に入るとまず目に飛び込んでくるのが、「被爆の実相」のゾーンだ。改装前は原爆投下の経緯や復興を記した説明展示後に配置していたが、「限られた滞在時間の中で十分に見てもらいたい」と前半部分に持ってきた。

 犠牲者が当日身につけていた衣服や被害を受けた建造物などの資料をまとめて配置。やけどを負った被爆者や焼け跡に横たわる遺体などの写真も並び、説明は最小限にとどめた。

 背景には、戦後世代が大半を占める中で、被爆の実相がイメージしにくくなっていることがある。説明文を読み始めると、全体を俯瞰して想像力を働かせにくくなる。そのため、あの日の広島に自分自身がいるかのように感じられる構成に変更した。

 被爆者の遺品を展示するコーナーでは、従来の遺品と説明文だけの展示から、持ち主の遺影や最期の様子、家族の思いを記した説明文を添えることで、遺品にストーリーを持たせ、犠牲者の人生を感じ取ってもらう展示に改めた。見学に来ていた東京都世田谷区の依田真理子さん(44)は「一人一人が生きていたということ、それぞれの家族の思いが伝わってきた」と話す。

 資料館の大規模改装は、昭和30年の開館以後、今回で3度目。15年をかけ計25回にわたる議論を重ねた結果、実物の展示による客観性の担保を重視することになり、写真資料は173点と改装前より61点増えた。

 「原爆の被害はやけどや爆風だけではない」との理由から、昭和48年に設置され資料館の象徴的な存在だった「被爆再現人形」は撤去された。

 設置当初、被爆者から「現実と違う」と多数の意見が寄せられていたという。高齢化で事実を知る被爆者も少なくなっており、「証言も聞けなくなりつつある時代だからこそ、作り物ではなく実物展示にこだわった」と加藤秀一副館長は説明する。

 資料館の展示の歩みは、記憶の風化との闘いの歴史でもある。加藤副館長は「広島の14万人、長崎の7万4千人という被爆直後の犠牲者の数字からは、死者や家族の苦しみ、悲しみ、残酷さは浮かばない」と強調し、こう語る。「ここでしかみられない『被爆の実相』から、一人一人の人間の苦しみを感じ取ってほしい」

 ■若い世代へ、模索続く

 戦争を知らない世代に対し、どのように戦争の実相や悲惨さを語り継いでいくか。各地の戦争資料館では、「共感」を生み出す展示の模索が続く。

 「若い世代にとって『戦争』が遠くなっている。どう身近に感じてもらうかが課題だ」。沖縄戦で看護要員として動員された女学生らで構成する「ひめゆり学徒隊」の被害を伝える「ひめゆり平和祈念資料館」(沖縄県糸満市)の担当者は話す。6月に開館30年を迎え、来年7月に全面的に展示を刷新する方針だ。

 平成16年にも展示を一新、証言ビデオの上映などを導入した。だが、昨年度の来館者はピークだった11年度の約100万人から半減。同館で証言を担う生存者も数人に減り、全員が90歳を超えた。

 来年には沖縄戦を描くイラストや戦前の女学生らの笑顔の写真を活用し、さらに視覚的に訴える仕掛けを検討。担当者は「若い世代にイメージしてもらいやすい展示を目指したい」とする。

 特攻隊員の遺品や関係資料を展示する「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市)。20年度まで来場者数は60万人前後で推移してきたが、近年は減少傾向にあり、昨年度は約40万人だった。

 今年4月に地元の人々と戦争の関わりを紹介する展示室を改装し、戦争経験者の証言を展示資料に添えたり、特攻隊員を見送った元女学生の証言映像を上映したりした。担当者は「ただ戦争を解説するだけでなく、身近に感じてもらえるような展示にした」と話している。

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