マイケル・ジャクソン没後10年 日本人ボディーガードが明かす素顔

マイケル・ジャクソン没後10年 日本人ボディーガードが明かす素顔

「来日前の打ち合わせでは、蛇や虎、ライオン、象までも連れてくるという話が出て、いったいどういう人なんだろうと思いましたね。結局、入国審査の関係で、チンパンジーだけ連れてきたんですけど」

 そう語るのは、警備会社の東京パトロール代表取締役・伊丹久夫さん。今月25日で没後10年となるマイケル・ジャクソンの単独初来日についての回想だ。マイケルは1987年9月9日から10月19日まで滞在。その間、伊丹さんはボディーガードとしてマイケルと行動を共にした。

「キャピトル東急ホテル(東京・永田町)の最上階を借り切り、窓に黒幕を張って、外の光がいっさい入らないように真っ暗にしてました。

 子どもっぽい面があって、オフの時間は、遊園地、動物園、おもちゃ屋にばかり行ってました。新幹線で大阪に移動したとき、運転席を見たいと言って先頭車両まで行ったり。

 写真を撮られるのを嫌がったり、逆に撮られたがったり。ある店では撮影した従業員からカメラを没収するように言い出し、私がフィルムを抜き出しました。反対に、本人の希望で用意したサンルーフ付きのハイエースで走行中、天窓を開けて立ち上がることも。横浜スタジアムのコンサートでは、会場入り前に手を振りながら一周。ファンがパニックになり、神奈川県警に怒られました」

 マイケルが東京ディズニーランドを借り切って遊んだことは有名だが、

「実は日本人スタッフと家族へのサービスの意味もあったんです。大型観光バスを3、4台チャーターし、皆で出かけました。うちも妻と娘たちが参加し、おかげでお父さんの権威が上がりましたよ(笑)」

 優しさの一方、非情な面も。

「新幹線の車中、専属シェフが特別に食堂車の厨房で作った料理が気に入らず、即クビにしたんです。急遽、その前に行った葉山のレストランのシェフを大阪に招き、日本滞在中はその人に作ってもらってました」

 天才はやはり奇人だった!?(取材・文/本誌・菊地武顕)

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