カメラ開発40年「ミスター・ニコン」に聞く 楽しみ抜いた「名機」開発の裏側、悔しさから挽回した「F5」「D3」

カメラ開発40年「ミスター・ニコン」に聞く 楽しみ抜いた“名機”開発の裏側

 「もうやり尽くした、なんてことはありません」。40年以上にもわたって、ニコンでカメラ開発に携わってきた後藤哲朗さんは、そう言って笑顔を見せる。

 2013年に同社が発売したデジタル一眼レフカメラ「Df」は、後藤さんが長年培ってきたカメラへの熱い思いが込められた商品だ。カメラに求められるのは「便利で使いやすい」機能だけではない。カメラ好きの人たちが心から楽しめる仕掛けをちりばめている。

 カメラ開発の現場を走り抜いてきた後藤さんが求めた「楽しさ」とは何だろうか。それを突き詰めた「Df」はどのようなカメラなのか。その経験と教訓は、さまざまな現場で奮闘するビジネスパーソンにとって、大きなヒントになるだろう。カメラ開発の仕事について、後藤さんに話を聞いた。

●21年間販売した「F3」と、悔しさから挽回した「F5」「D3」

 後藤さんが日本光学工業(現ニコン)に入社したのは1973年。父の影響で小学生のときに写真を始め、中学時代には写真部にも所属していた。その後しばらく遠ざかっていたが、大学に貼り出された同社の求人情報を見て、入社を決めたという。

 日本光学工業は、顕微鏡や測距儀などの光学機器の国産化を目指し、1917年に設立。戦後、民生用光学機器の生産に転換し、カメラをはじめさまざまな製品を提供してきた。後藤さんが入社したころ、同社のカメラはプロ向けとしての評価は高かった。しかし、一般向けとしては「丈夫だが、ごつくて使いやすいとは言えなかった」という。

 入社後、産業機器の開発部門を経て、カメラ設計部に所属。ここから後藤さんのカメラ開発の歩みが始まる。

 若手時代の思い出深い機種は、フィルム一眼レフカメラ「F3」だという。F3シリーズはニコンのフィルム一眼レフの中でも「名機」と言われ、長年多くの人に愛用されてきた。後藤さんは試作にかかった数年間から、 1980年の発売、2001年の生産終了まで、ずっとF3に携わってきた。「ニコンでは最長の21年間生産を続けました。全てを知っている人は他にいなくなってしまいましたね」と振り返る。

 F3の開発時、若手だった後藤さんはとにかく目の前のことにがむしゃらに取り組んでいた。「先輩に怒られながら、いろんなことを教えてもらいました。自分でカメラの分解や組み立て、調整をしたり、部品メーカーまで出向いたりと、指示されたことをやりながら経験を積みました」

 F3の開発で苦労したことの一つが、新しいセルフタイマーランプの開発。ニコンとして初めて、セルフタイマーランプにLEDを採用したのだ。「屋外で撮影するときも、ランプがはっきり見えなくてはいけません。LEDの中でも特に明るいものを探し回って、日なたで実験を繰り返しました」

 また、悔しさをばねに開発に取り組んだ、思い出深い機種もある。1996年発売のフィルム一眼レフカメラ「F5」と、2007年発売のデジタル一眼レフカメラ「D3」だ。

 この2つのモデルは時期も性能も異なるが、共通点がある。それぞれの先代モデルは「F4」シリーズと「D2」シリーズだが、これらは同時期のライバルメーカーの商品と比べて「性能が負けていた」のだ。次こそは挽回しよう、と気合いを入れて開発したのが「F5」や「D3」だった。

 F5の開発で注力したのは、自動露出、フィルム巻き上げ速度、オートフォーカスの精度だ。F4では「願うところにピタッと合うかどうか」という点で、ライバルメーカーの方が優れていた。F5の開発では、それぞれの機能について、先代機種だけでなくライバル機よりも向上させようと取り組み、弱みを克服した。

 また、D3の開発時には、「フルサイズ」と呼ばれる35ミリフィルムサイズの画像センサーを搭載。今ではフルサイズ搭載機種は多いが、当時は「難しい」と言われていた技術だ。フルサイズにすることで超高感度での撮影が可能になり、暗い場所でも撮影できるようになった。D3の発表会では真っ暗な部屋を用意し、その性能を体感してもらったという。

 悔しさからの挽回を目指して開発した両機種はヒット。“起死回生”と言えるような機種になった。

●「便利だけど面白くない」を解決する「後藤研究室」

 執行役員で映像事業部の開発本部長だった後藤さんは 、D3シリーズの開発後、その役職から外れることになる。そして、会社のDNAを次の時代につないでいくための部署を任されることになった。それが、09年から17年まで設置された「後藤研究室」だ。

 後藤研究室のメンバーは、ニコンのカメラ開発の歴史を知っている人や写真を撮るのが好きな人などを社内公募して集めた。そして、メンバー間でカメラに関する議論を交わしながら、「研究室」の活動を始めた。

 この活動で、後藤さんには実現したいことがあった。それは「忘れ物、落とし物を拾うこと」だ。

 このころ、デジタル一眼レフカメラはどのメーカーの商品も使いやすく進化していた。しかし、後藤さんは「どれも似たり寄ったり。 ロゴでしかメーカーを見分ける方法がない。操作は簡単になったが、面白くない」と以前から思っていた。ただ、普段の仕事を抱えながら取り組める問題ではなく、「なんともならないなあ」と感じていたという。

 「カメラは趣味の商品。『便利で使いやすい』だけが価値ではないと思います。もっと細かいところにこだわりたい。そのような『気が付いていても手が出ない』あるいは『みんなが気が付いていないことに気付く』ことが後藤研究室の役割だと考えました」

 後藤さんと同じようにカメラに対して強い思いを持ったメンバーが集まって活動する中で生まれたのが「Df」の企画だ。このカメラは、通常の新商品開発とは全く考え方が違う。「カメラの楽しさ」を詰め込んだ機種になっているのだ。

●デジタルなのに、フィルムカメラの操作感

 Dfの外観を見ると、他のデジタル一眼レフカメラの最新機種と大きく異なることに気付く。上部にいくつものダイヤルがあるのだ。感度やシャッタースピードを調整するためにはダイヤルを調整しなくてはならない。撮影前に自分の手でダイヤルをいじると、昔のカメラのような操作感を味わえる。ダイヤルをカチカチと回す感触が懐かしいという人も多いだろう。さらに、「大昔のNIKKORレンズも使える」機種だという。

 また、カメラにより愛着を持ってもらうための細かい仕掛けもある。その一つが、カメラ本体に所有者の名前を入れるサービスだ(現在は終了)。

 Dfを企画した当時、社内では反対の声が多かったという。「今売れるのは便利なカメラ」「遊びのような開発をしている暇はない」といった声は根強かった。しかし、当時の社長をはじめとして、応援してくれる人もいた。その存在に支えられ、カメラそのものを楽しめる機種の開発を実現できた。

 確かにDfは、数がたくさん売れる機種とは言えないかもしれない。しかし、カメラ好きの心を捉え、熱心なファンをどんどん増やしている。今では、Dfのファングループまである。一般のファンが主催して、写真展に行ったり、飲みに行ったり、カメラ談義をしたりする催しに、「海外のファンの方も含めて、多いときは50人ぐらい」が集まるという。

 後藤研究室は17年に解散になったが、そこで育まれた精神は今でも社内に根付いている。「8年間でメンバーが育ち、今では部門のトップとして活躍している人もいます。(後藤研究室で取り組んでいたことは)本来なら全員が当たり前に持つべき考え方。経験を生かして、それぞれの場所で取り組んでもらいたいですね」

●初心忘るべからず、写真忘るべからず

 現在はフェローとして研究や開発をサポートする後藤さんが、よく口にする言葉がある。「初心忘るべからず、写真忘るべからず」という言葉だ。

 「デジタル画像が一般的になりましたが、カメラはあくまで『写真』を撮る機械です」。ニコンには、苦労してプロに受け入れられるカメラを開発してきた歴史がある。「フィルムカメラの苦労があったからこそ、今がある。それも語れるような仕事をしてもらいたいですね。新しい技術を買うことはできますが、買えないものもある。そのキーワードが『写真』なのかもしれません」

 その感覚を磨くために、後藤さんが大事にしているのが“現場”だ。「データを見ているだけでいいものができるわけではありません。外に出て、お客さまの声を聞くことが大切です」

 特に、スポーツイベントや写真展にはよく足を運ぶ。カメラを持っている人に名刺を渡して使い心地などを聞いて回る。ライバルメーカーのカメラを使っている人に対しても同じ。ときには、商品に対するクレームを言われることもあるが、それも大切な声だ。ライバルメーカーが運営するショールームにも出向き、堂々と名刺を出した上で新製品について教えてもらうこともある。「カメラを使っている現場、写真を見せる現場、カメラを売る現場。いろんなところで話を聞いてきました」

 なぜそこまで足を動かし続けることができるのか。それは何よりも、カメラに関わる仕事を楽しんでいるからだ。「カメラは趣味の商品です。自分で楽しまないと、いいものはできません。肩の力を抜いて、お客さまが喜んで使っているところを思い描く。難しいことかもしれませんが、そうすることで自由なアイデアが生まれるのです」

 後藤さんのカメラの世界への探求心は、これからも尽きることはない。カメラはどんどん進化しているからだ。「スマートフォンでもきれいな写真を撮れるようになりました。スマホのカメラの研究ももっとしていかないと」と意気込む。

 「商品開発では、まだまだやり残したことがある。常に『次の機会にはこれをやろう』と考えています。これからも『名機』と呼ばれるカメラの誕生に貢献したいですね」

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