業界に多大な影響を与えた現存メーカー AT互換機という怪物を産み出したIBM
IBM-PC/ATと呼ばれる
IBM 5170が誕生
IBMが、PC Jr.と並行して開発していたのが、より高性能なIntel 80286を搭載した製品である。80286は1982年2月に発表されているが、1981年中にはすでにインテルからさまざまなメーカーに対して説明が行なわれていた。
さすがにこの時点ですぐ実機に採用というのはいろいろ無理があったわけで、IBMもIBM-PC/XTまでは8088ベースとして、その次の製品に80286を採用することを決めた。
そもそも8086/8088と80286では、命令セットそのものに互換性はあるものの、以下の違いがある。
- アドレスバスが24bit化
- メモリー空間が16MBまで拡張
- Protected Modeを実装
細かなところでは割り込みやDMAコントローラーで扱える範囲が広がった(8086/8088では割り込みが0~4の5つだったが、80286では0~31の32に増えた)など、いろいろと違いがあった。
また8088に相当する、外部バス8bit版のプロセッサーは提供されなかったため、必然的に周辺回路やバスを16bit化する必要性が出てきた。そこで開発には多少時間を要することになった。そしてデータバスが16bit化されることにともない、I/Oスロットもまた16bit化されることになった。
最終的にこれはIBM Personal Computer/Adcanced Technologyと名付けられ、1984年8月14日に発表される。
もっとも“Advanced Technology”は長いので、普通にはIBM-PC/ATと呼ばれている。正式な型番はIBM 5170となっている。
ATフォームファクターの原型となった
IBM-PC/AT Type 1のマザーボード
IBM-PC/ATにはType 1からType 3まで3種類の構成がある。
Type 1は6MHz駆動の80286を搭載し、オンボードで256KBのDRAMを搭載(512KBまで拡張可)、FDD×2のほか20MBないし30MBのHDDを搭載できた。正確な価格が見当たらなかったのだが、およそ6000ドル程度(おそらく20MB HDDのモデルだと思われる)とされる。
ちなみにType 1ではディスクリート部品の山、という感じになっており、マザーボードもかなり大型化している。これがいわゆるATフォームファクターの原型となった。
拡張バスは、旧来の8bitバスに、さらに8bit分の追加データバスを拡張したような形状になった。この16bit幅のスロットをAT Bus、IBM-PC/XTまでで利用されてきたスロットをXT Busと呼ぶが、これは俗称であってIBMの正式名称ではない。このAT Busがその後ISA(Industry Standard Architecture)Busと呼ばれることになった。
XT BusとAT Busがどんなものか、というのは連載106回で解説したので繰り返さない。アドレスとデータを多重化している部分はあるにせよ、基本的には80286のアドレスバスとデータバスの信号そのまま、という話である。
DRAMは上の画像で言えば左上がそうだが、まだDIPソケットにDRAMチップを直接装着する方式である。128Kbitチップを36個(うち4つはパリティー)搭載可能で、これで512KBである。これ以上のメモリーは、ATバスに拡張メモリカードを装着する形で、理論上は最大16MBまで実装可能となっている。
もっともType 1の場合、BIOSにバグがあって最大でも12.3MBまでしか認識できなかったらしいが、当時こんな大容量メモリーを扱う用途はなかったので実質的には問題なかったらしい。
Type-3を改良した廉価版
IBM-PC/XTを出荷
Type-1に続き、1985年中旬にはType-2が登場する。表面的には違いがないが、マザーボードがBaby ATサイズまで小型化されている。またメモリーチップが128Kbit品から256Kbit品に切り替わった。さらに1986年4月には、8MHzの80286を搭載したType-3も登場した。
以上のようにハードウェアは80286に変わり、プロテクトモードと16MBのメモリー空間が利用可能になったとはいえ、ソフトウェアの方は依然としてMS-DOSベースなので、けっきょくは高速な8086/8088として80286を利用することになった。もっとも性能向上のニーズは当然高かったので、80286に交換することで高速化されたIBM-PC/ATの評判は悪くなかった。
このIBM-PC/ATの派生型、としてもいいと思うのだが、Type-3のマザーボードをさらに再設計、というよりもう一段すっきりさせたのが1986年9月に発売されたIBM-PC/XT model 286(IBM 5162)である。
こちらはXTという名前ではありつつもCPUは80286の6MHzであり、ATバススロットも5本搭載している。マザーボードそのものは完全にIBM-PC/XTのものと同一サイズに抑えられ、IBM-PC/XTを思わせる筐体(微妙に違うらしい)に収めて出荷されたが、実質的にはIBM-PC/ATのバリューモデルという扱いである。
おもしろいのは、IBM-PC/ATはType1~3まで150ns程度のDRAMを利用していた関係で、メモリーアクセスには1ウエイトが入っていた(つまりアクセスに2サイクルかかる)が、IBM-PC/XT model 286ではアクセスが75ns程度のSIMMを利用可能になっており、この結果0ウエイト(つまりアクセスが1サイクル)となった。
要するに、メモリーアクセスを多用するアプリケーションでは、IBM-PC/XT 286の方が高速に動作したらしい。
このIBM-PC/XT model 286は20MB HDDを内蔵して、4000ドルほどで発売されていたそうで、価格的にもまさしくエントリー向けであるのだが、残念ながらあまり芳しい売れ行きではなかった。なんというか、これもIBM-PC/ATとして売り出した方がよかったのではないか? という気がしなくもない。
可搬型PCのIBM 5140を投入
競合製品が多くヒットとは行かず
時計の針を少し戻すと、IBM-PC/ATのType 3と同じく1986年4月に発表されたもう1つの製品がIBM 5140である。IBM Convertible PCという名前の方が通りがいいが、もう写真でわかる通り可搬型(ラップトップというにはやや重すぎる)PCである。
CPUには8088をCHMOS(連載239回で触れたもので、要はCMOS)化した80c88という省電力版の8088(4.77MHz)が搭載され、メモリーは標準256KB/最大512KB、LCDは640×200ピクセルで、3.5インチFDDを2台搭載している。
ちなみに液晶は取り外し可能で、別売のCRTアダプター(350ドル)経由でCRTを利用することも可能だった。重量は12ポンド(5.5Kg)で、少なくともSCAMPやIBM 5100などに比べればずっと現実的に持ち運び可能な範疇だった。
Osborne 1の半分なので、持って歩くのは不可能ではないだろう。価格は1995ドルで、バランスとしては悪くない。
ちなみにオプションで熱転写プリンターやシリアル/アナログポートを本体後方に取り付け可能だった。
個人的に言えば、これでHDDが内蔵できたら完璧だったのだろうが、あいにくこの当時はまだこのサイズに収まるHDDがなかったから仕方がない。なお、オプションでバッテリーパックもあり、短時間であれば外部電源なしでの運用も可能だった。
ところがこの市場は競合も多く(DataGeneral/Oneもそうだし、この当時すでに東芝やZenithからも製品が出ていた)あまりヒットしたとは言い難い。
後で改修がかかったらしいが、当初はLCDのバックライトがなく、非常に視認性も悪かったらしい(だからこそのCRTアダプターだった模様)。
1985年をピークに売上が下がる
原因はAT互換機の出現
以上のように、IBMはラインナップを増やしていったわけだが、売上はどうだったかというと、1981~1987年の売上推移は下のようになっている。
データの出典は“Creating Strategic Leverage” by Milind M. Lele
これにPC Jr.やConvertible PCを加えれば、軽く500万台を突破しているわけで、仮に平均小売価格を全部まとめて3000ドルと仮定しても、7年間で150億ドルもの売上になっている。PC Jr.の失敗ぐらいでは揺るがなかったのはこのためである。
もっとも売上のピークは1985年であり、その後徐々に売上は落ちているのもわかる。理由は簡単で、PCクローンの出現である。
連載488回でも触れたが、IBM-PCの開発にあたってはオープンスタンダード戦略がとられた。どのくらいオープンだったかというと、ハードウェアの全回路図とBIOSのソースコードが、Technical Reference Manualとして完全公開されているほどだった。
IBM-PC/ATの場合、“IBM PC AT 5170 Technical Reference 1502494”の表紙が青ということでBlue Bookという名前で知られているが、これをご覧いただくとわかるが、必要な情報がすべて網羅されて掲載されている。
ただこのBIOSをそのままコピーすると著作権違反になる(実際、これをやってバレて訴えられた会社が複数ある)ため、これが他社の参入を防ぐ障壁になっていたわけだが、まずCOMPAQが自社向けに互換BIOSを開発して製品を出荷、次いでPhoenixが外販用の互換BIOSの販売を始めた結果、1985年以降もPC市場は急速に拡大していくものの、そこに占めるIBMの売上が次第に落ちていくのはある意味仕方がない。
間が悪いことは重なるもので、こうした新しい競合に対応していかなければならないという時期に、ESDはDon Estridge氏を失った。ここからESDは方向性がずれ始める(次回に続く)。
