<日産>現場を疲弊させた「原価低減推進室」の必達目標
無資格検査が発覚した日産自動車。11月17日に公表した外部の西村あさひ法律事務所による第三者報告書は、五つの工場で無資格検査が常態化していた原因の一つに、ここ数年の国内生産増加のなかで、「慢性的な完成検査員不足」が生じていたことをあげている。
第三者報告書は、工場ごとに無資格検査の実態を記載している。国内の生産台数の半分を担う日産九州(福岡県苅田町)では、2000年ごろから無資格検査が行われていた。そして、団塊の世代の退職の影響や、他工場への完成検査員の応援派遣により、16年ごろから無資格検査が頻繁に行われるようになったという。
日産九州の完成検査員の大多数は「補助検査員を外した場合、計画された生産台数の完成検査を終わらせることはできなかった」などと述べている。
◇「2交代制から3交代制へ」現場の負担
日産自動車の国内生産は、10年以降に進んだ急激な円高で、海外生産に重点が置かれ、国内生産は減少していた。だが、15年ごろから、スポーツ用多目的車(SUV)の販売が好調な米国市場向けや、国内で好調な小型車ノートの増産などで、生産台数が急増した。
日産車体九州(同)では、輸出用SUV増産で、16年10月に勤務体制が2交代制から3交代制に変更された。この結果、著しい完成検査員不足に陥ったという。
追浜工場(神奈川県横須賀市)でも、日産九州から小型車ノートの生産移管を受け、同9月から1直化していた生産ラインを昼夜2交代制にした。そうした状況のなかで、補助検査員に完成検査を行わせなければ、完成検査ラインは回らなくなったという。
日産車体湘南工場(同県平塚市)でも17年9月から2交代制になったことで検査員不足が深刻化した。ある完成検査員は「会社は『コストがかかるから人員を削減しろ』『品証(完成検査ラインの所属部署)も年間1人減らせ』とよく言う。それによって無理やり人を減らしてしまった」と証言する。
◇工場の人減らしの実態
この工場の人減らしの実態について、第三者報告書は詳しく記述している。
日産本社の原価低減推進室から毎年、各工場に対して労務費の「低減率」が必達目標として示される。この低減率に基づいて、生産ラインに配置する人員を、年々減らすことが求められ、ライン配置人数には余裕が出ることはなかったという。
日産の国内6工場のうち、3工場を管轄する子会社の日産車体の場合、「低減率」に基づいて毎月20日ごろに各工場の所要人数を算定していた。所要人数は正社員、期間従業員、派遣社員の区別はなかった。検査を担当する部署の必要人数も示されたが、完成検査員が何人という区別はなかった。
このため、現場の工長から、「低減率に沿って人員が減らされるとラインが回らなくなる」などの意見が出されたこともあった。ただし、低減率の達成が必達目標となっていることを工長もわかっていて、本当に人繰りが厳しいときしかこうした意見は出なかったという。
◇徹底したコスト削減の「ひずみ」
日産は、1990年代後半に倒産寸前の経営危機に陥ったが、仏ルノーの出資を受けて傘下に入り、17年間にわたって社長を務めたカルロス・ゴーン現会長のもとで劇的な業績回復を果たした。その原動力が徹底したコスト削減と、提示した数値目標は必ず守るという手法だった。
業績回復には大きな役割を果たしたやり方だが、工場の生産現場には、「ひずみ」がたまっていたことが第三者報告書の記述でうかがえるのである。
