100年前から瀋陽に佇む日本統治時代の美しい西洋建築群、いささかヨーロッパの風情が漂う

100年前から瀋陽に佇む日本統治時代の美しい西洋建築群=中国メディア

 瀋陽や大連、長春といった中国東北部の大都市の街並みにはいささかヨーロッパの風情が漂う。それは20世紀の前半に現地を支配していた日本が建て、残していった建築物や設備が醸し出しているものだ。中国メディア・今日頭条は16日、かつて奉天と呼ばれた瀋陽の街に残る、日本人が作った洋風建築群を紹介する記事を掲載した。

 記事はまず、瀋陽市街の中心に位置する中山広場について紹介。1913年に整備された当時は中央広場と名付けられ、19年には浪速広場、45年の日本敗戦後には中山広場と名前が変化していったと伝えた。さらに、文化大革命期には紅旗広場となり、文革終結後の81年に中山広場に戻されたとしている。また、広場の中心にかつて鎮座していた日露戦争記念碑は戦後に取り壊され、文革中の70年には毛沢東氏が手を挙げて立っている大きな像が建てられたとしている。

 続いては、日本統治時代における瀋陽の近代洋風建築を代表する「6大建築」だ。「中山広場を囲むように存在する6つの建築はいずれも国レベルの重要文化財に指定されている。いずれも建物自体がしっかり保存されているほか、現在の用途も当時とあまり変わらない」としたうえで、元東洋拓殖株式会社奉天支店の瀋陽市総工会ビル、元日本朝鮮銀行・満州興亜銀行の華夏銀行中山路支店、奉天警務署だった瀋陽市公安局、横浜正金銀行奉天支店だった中国工商銀行中山支店、奉天ヤマトホテルだった遼寧賓館、三井物産だった招商銀行中山支店を紹介した。

 そして、中山広場を貫くように1919年に作られた中山路についても言及。昭徳大街、浪速通り、中山路と名前を変えた大通りの一体にはカフェやバーが多く存在し、現地に漂う欧米の風情にマッチしていると説明している。

 中国のネットユーザーからは「美しい! 東北部には美しい景色がたくさんある」、「当時の東北地方は輝いていた。それが今や落ちぶれてしまった」、「材料をケチった様子も見られないし、管理もしっかりしていた。本当に手抜き工事をしていなかったんだな」、「この建築は、さらに100年たっても問題なさそう」といった賞賛コメントが寄せられた。

 100年以上も使用に耐えうる建築群を設計し建設した当時の日本人の卓越した技術は、歴史的な背景を超えて中国の人びとからも評価されているようだ。そしてまた、いかなる理由であれ、「憎き日本が作った物」として手当たり次第に破壊することなく、使えるものは有効に利用し続けて現在にまで残した現地の当局や市民の姿勢も、文化財保護の視点から評価されるべきものかも知れない。

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