「一見さんお断り」の本当の意味は?気づきにくい信用の経済効果

「一見さんお断り」の本当の意味は?

一見さんでも入れる「お茶屋バー」

 遊びの大切さについて、私自身も学問上たいへん有意義な経験をしたことがあるので、ここに書き記しておきたい。

 もう10年以上も前のことである。京都で、当時の同僚二人と酒を飲んだときに「一見さんお断り」を話題にしたところ、そのうちの一人が、敷居の高そうな花街でも最近は「お茶屋バー」というのがあり、普通のショット・バーの感覚で、紹介がなくても気軽に入れて面白いと言い出した。まだ時間も早いし、我々は上七軒からそう遠くない場所にいる。そういうことならば探訪に出かけようと、三人で上七軒に足を向けた。

 ところが、行ってみるとあたりには京町屋風の家がひっそりと並んでいるだけで、どこに肝心の「お茶屋バー」なるものがあるのか判然としない。そのうちに発案者が、看板も何もない家の引き戸をがらりと開けてずかずかと入るから、恐る恐るついていった。

 中に入ると、京風の外観からは想像できない黒を基調とした洋風の部屋である。左手に立派なカウンターがあり酒が並んでいて、なるほどこれは間違いなく「バー」である。カウンターの向こう側には、着物姿の妙齢の女性が一人立って微笑している。たいへん上品である。酔客の乱入に気づいて、奥から男性が出てきた。この人がバーのマスター、女性は芸妓の見習いだとのこと。

 酒を頼んでしばらく会話をしていたら、今夜は他に客もないことですし、内輪のこととして舞妓の半玉をここに呼びましょうかとマスターが言い出した。半玉とは修業中の見習いのことで、一人前ではないから祝儀を包む必要はありません。ただ、未熟者ゆえの失礼はご容赦ねがいますという。

 ご祝儀を包む必要がなくても、特殊なサービスに対して何らかの対価が発生しても不思議はない。しかし、それにかんする費用便益を冷静に分析するには、私たちの血中アルコール濃度は高すぎた。二つ返事でその半玉さんを呼んでもらい、カウンターの見習い芸妓さんとあわせて侍らせたものである。見習いとはいえ、この二人は丁寧な京言葉を使い、身のこなしはまことにあでやかであり、私たちにとっては十分に風雅な遊びの世界を2時間近く提供してくれたのだが、その内容は本論にまったく無関係なので記述しない。

気づきにくい信用の経済効果

 さて、もう日付も変わろうかというころ、女の子たちは明日の朝早くからお稽古があるから休ませてもらいなさいという声がかかり、かわいらしく挨拶をした後で女性二人は奥へと消えてしまった。

 そんなところから今度は現実がぼちぼちと始まる。ここからがいよいよ話の本題である。

 頼んだ焼酎のボトルはいつのまにか空になっていて、連れの二人はすでにぐちゃぐちゃに酔って溶解状態にあった。三人のなかでは私が最年長で、勘定を頼む立場にあるのは明らかに私だった。ところがこのマスターが、代金を請求しようとしない。すでに名刺をもらっているから、月末に請求いたしますというようなことを、慇懃に言うのである。せめて金額だけでも教えてくれと言っても、マスターはとりあわないのだ。言ったところで、今の持ち金程度では到底払いきれないということであろうか。私は即座に酔いからさめた。

 彼の言い分はこうだ。ここで代金の清算をすることは簡単だが、それでは皆さんと店との縁もそこで清算されてしまう。遊びのお金は月末に請求し、客は翌月になったら代金を持ってまた店にやってくるもので、この町では昔からそのようにして客との縁というものが大切にされてきた。それでこそ、遊びであり、ゆとりなのである。代金をその場で請求するなど、自ら大切な縁を切るような不細工なことはできない。

 なるほどこれには一理ある。お店の立場からすると、いつ来るかわからない客をあてにするよりも、定期的に必ず現れてくれる常連客を抱えるほうが商売の安定をはかることができる。そこで、現金で即座に決済するのではなく、相手の信用を頼みにして後日に代金を受け取る掛け売りをあえてすることで、意図的かつ計画的に常連客を作り出そうというのだ。

 通常、経済学で信用供与というと、将来に収入が見込まれるが現在は資金が不足している人が、将来必ず返すという信用をもって現在金を借りるという成り行きを考える。現在十分な資金があれば、当然その資金を即座に使わせるべきもので、信用の登場する余地はないはずだ。

 それに対して、ここでは客に現在資金があるにもかかわらず、あえて信用を足がかりにして、より長期的な商売の関係に転換しようというのである。これは普段は気づきにくい、信用の経済効果ではあるまいか。私は、上七軒という意外な場所で小さな発見をしたという気分になったものである。

「一見さんお断り」は、支払いを保証するシステム

 しかし、肝心の私たちの信用はというと、お世辞にもしっかりしたものとはいえなかった。

 そもそもその店に行ったのは初めてで、マスターに渡した私の名刺といえば、パソコンで自作した子供のおもちゃのごときものなのである。それにもかかわらずマスターは、私たちの職業は話しぶりやいでたちからわかることであり、代金は大学の先生方ならたやすく払える金額ですからと言うだけで、私が何度促しても頑として金額の請求をしないのである。

 そんなやり取りをしているうちに、彼からまた面白い話を聞いた。「一見さんお断り」で、紹介がないと名の通ったお茶屋には上がれないというのは正しいが、紹介というのは単に名前を取り次ぐだけではなく、支払いを保証するものだというのである。保証というのは、客が翌月に払いを持って現れなかったならば、その紹介者が責任を取って支払いをするということだそうだ。

 もちろん、支払い能力があっても、しきたりを守ってきれいに遊べないような人を紹介すると、紹介者の信用が落ちる。「一見さんお断り」というのは、特別な仲間内のためだけに遊び場を確保するという趣旨ではなく、信用力があって末永く遊びを続けられるような人を選び出して、常連客として維持するための工夫だというのである。

 ここでも、信用というものが付加価値を生み出す様子を垣間見られ、私は大いに感心した。すなわち、すでにみた理由で掛け売りをするほうが店の利益にかなうのだが、そのためには支払い不履行という信用リスクを店が抱えねばならない。ところが、紹介者が信用保証をするというシステムが確立されてしまえば、店は信用リスクを軽減することができ、安心して掛け売りができるようになるというわけだ。教科書には載っていないが、これはよくできた仕組みだと感心したものである。

 さて、花街の遊びから経済学を大いに学んだのはいいが、肝心の授業料は一体いくらなのかわからずじまいで、私たちは店を後にした。翌日、酔いがさめてから記憶を掘り返し、冷静に前日の行動を再構築してみると、店の中で随分と酒を飲み、しかも舞妓と芸妓を至近距離に侍らせて、2時間以上も粘ったという恐ろしい図が浮かんでくる。店を探し当てた当人に聞くと、そういう店があるというのをどこかで読んだというくらいで、勘定の相場などまったく知らないという。これはずいぶん乱暴な話になってきた。

 それから月末まで、私は毎日眠れない夜を過ごした。このような度胸のなさでは、茶屋遊びなど一生おぼつかない。

 請求書は、やはり来た。金額は、われわれが想定した最悪のシナリオではじき出した金額よりも大分安かった。ただ、とことん不細工な私は、銀行振り込みで支払いをしてしまったからすっかり縁が切れた。今では大変反省しているが、取り返しはつかない。

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