女の涙はなぜタブー?職場という空間に「女の涙」が断じて許されない理由

女の涙はなぜタブー? 職場という空間に「女の涙」が断じて許されない理由

新年度、新生活が始まりましたね。新入社員が職場にいる姿というのは、本人たちはもちろん、周囲もハラハラザワザワとするものです。

というのも、よくあるオジさんの「なんだ今年の新人は! 俺たちが若い頃はなぁ」との典型的な「今の若い者は」批判とは別に、先輩女性たちはかつて自分たちも社会人となって新しい海へ漕ぎ出したときの戸惑いや葛藤を思い出して、共感いっぱいに「あの子たち、大丈夫かしら……」と若い新人たちを見守ってしまうからなのです。

●女性社員が職場で流す涙は、そんなに「タブー」なのか

 ある女性は「新人時代、男性ばかりの職場で悔し泣きをしたことがある」と振り返ります。「すると、そのときから周囲の男性の態度が激変。私には『めんどくさいやつ』のレッテルが貼られて、当たりが強くなりました」(40代女性)

 また、別の女性もこう話します。「頼りにしていた上司が異動でいなくなることが分かり、報告を受けた際にショックと寂しさでボロボロと涙が出てしまい、周囲も引いていました。その上司が男性だったこともあり、あとで反省しましたが、あのときは心から湧き出ていて止められなかったんです」(30代女性)

 こんな女性もいます。「叱責ばかりされている職場で、『会社で泣いちゃいけない!』と、涙をこらえるために輪ゴムを腕に巻き、泣きそうになるたび、ぱちんぱちんとはじいて痛みで涙を飛ばしていました」(30代女性)

 「仕事で悔しくて」流した涙に、「めんどくさいやつ」という評価がつく。寂しさで思わず涙をこぼすと、周囲が引く。部下が叱責ばかりされるような、つまりは上司がマネジメントに失敗している職場にもかかわらず「会社で泣いちゃいけない」という無茶な空気が蔓延する……。その結果が輪ゴムで涙をこらえるという、それこそ涙ぐましいエピソードです。

 職場での「女性の涙」には、どこか「だから女は」とか、「ずるい」などの感想がつきもので、タブー視されている部分も大きいようです。

 でも、女性が自然な感情の発露として思わず流してしまう涙は、そんなにいけないものなのですか?

ひとたび職場を離れれば、私たち女性は友人や家族との語らいの中で、あるいはドラマや映画のセリフの一つ、人物の表情、本や漫画の中の一行に心を動かされて、とても自然に泣きます。それは「ずるい」涙でも「だから女は」とバカにされるようなものでもありません。感動、うれしい、寂しい、悔しい、悲しい、怒り……心の動きが涙という形でとっさに溢れ姿をあらわす、極めて当たり前で豊かな感情表現です。

 なのになぜ、職場にだけは女の涙があってはいけないと思われているのでしょうか。

 それは、日本の「職場」という空間に存在を許されている感情の種類が、とある理由で非常に限定的だからなのです。

●職場という空間に涙が許されない、哀しい理由

 女性が涙を流す姿を職場で見せてしまうと、男性の側から

 「女ってすぐビジネスの場で感情的になるよなー。泣かれたら、こっちが論理的に話してるのを無理やり崩されて、結局譲歩させられるじゃん? ひきょうだよなー女って」

 という解釈や感想がささやかれることがあります。

 そういう男性の感想を聞かされて育つうち、やがて女性の中でも同じ女性に対して「あの子って、すぐ涙で言い訳したり、自分の意思を通そうとするよね」との批判が生まれるようになりました。

 確かに、相手が男性でも女性でもことあるごとに泣きじゃくって、コトを鎮めようとしたり、相手に100%の非を押し付けたりする人、いわゆる「涙を武器にする」人も、中にはいます。ただ、同じ女性なら涙の種類は見れば分かる。まして流す自分自身こそよく分かっている。それこそ「ズルい」と言われてしかるべき打算的な武器としての涙などではない、自然な感情がとっさにもたらした涙までをも、私たちは「いけない涙」だと思って、職場で懸命に隠しているのです。

 不思議ですね、女性が、自分たちの涙をひとまとめにして「それはズルくてひきょうなものだから、見せちゃいけない」と信じるようになったのです。そして、そうやって悩むのは往々にして「打算的でズルい涙」など流さない女性ばかりです。

 その結果、「泣いてはいけないと思って泣くのを我慢し過ぎて、うまく泣けなくなった」「どういうときには泣いてもいいのか、分からなくなった」と戸惑いを告白する、優秀な女性がたくさん出現するようになりました。優秀ゆえ「男性の感想・価値観」にちゃんと適応した結果です。

 つまり、これまで男性によって構築されていた組織の中に女性が「進出」していた社会では、女性は男性化することで居場所をもらっていたのです。

男性にも「男の子は泣いちゃダメ」という抑圧が覆いかぶさる

 そういえば、なぜ男性は泣かないものとされているのでしょうか?

 そんなワケないですよね、男だって泣きますよ。小さい男子を見ていると、本当によく泣きます。だって悲しいときや痛いとき、怒ったとき、感情が高ぶると涙が出るのは人間なら当たり前ではないですか。

 でも、「男の子なんだから泣いちゃダメよ」とか「泣くな、男だろう!」って誰かに言い聞かせられ、「なんで、『男だから』泣いちゃダメなの?」という疑問を持つ余地なく、大人の言うことをちゃんと聞いて、必死に涙をこらえて育ってきた真面目な男性に限って、こう信じるに至るのです。

 「感情をコントロールできないやつは、ダメなやつだ」「論理的に物事を考えられる人間のほうが、上等だ」「感情は論理に劣る」――。

 ところが、そういう典型的な男性軸の価値観で見落とされていることが一つあります。それは、男性社会では「涙」への(むしろヒステリックなほどの)強い拒否感があるにもかかわらず、「怒り」を割と暴力的に表出させることに対しては、驚くほどハードルが低いということです。

●なぜ男性の怒りは許容されやすいのか?

 日本では、子育ての上であまり「ジェンダーによる選択的な感情の抑圧」が語られることはありませんが、特に児童や青年の精神医学や心理セラピーが発達している欧州や北米では、子育ての文脈で「女の子だから」「男の子だから」と、振る舞いや服装だけでなく「特定の感情活動」を大人が抑制したり助長させたりすることの危険性が、広く認識・共有されています。

 例えば小さな女の子が砂場で他の子供に自分のバケツを無断で取られ、思わず怒って大声で「返してよ!」と叫び、力ずくでもぎ取ったとき、周りの大人は眉をひそめてこう思いがちです。「あの子、『女の子なのに』”性格キツくて激しいのねぇ。怖いわ」。一方、もしその女の子がバケツを取られた瞬間なすすべもなくシクシク泣いたなら「かわいそう」とされ、「○○ちゃん、おとなしい性格よね」と、そちらは案外容易に受容されるのです。

 ところが、これが小さな男の子だったとき。男の子が「返せよ!」と大声でバケツを取り返したら「あらー、男の子がケンカしてるわー」と、それは大人からとりなされる程度で、日常の一シーンとして受容されやすいものだったりします。一方、なすすべもなく泣こうものなら「○○くん、気が弱いわよね」と言われ、親は「『男の子なのに』こんなに気が弱くて、将来大丈夫でしょうか」と猛烈に心配するわけです。 

●男子は「泣く」、女子は「怒る」を抑圧されがち

 つまり、実は子育ての上で、男子に対しては「泣く」こと、女子に対しては「怒る」ことが、ジェンダー選択的に抑圧されがちである。このことを社会が理解・認識しているか、そして自戒的であるかどうか、そこが社会のジェンダー意識があぶり出される部分です。

 日本では、子供を育てる文脈で、しつけや教育には関心がとても高いように感じますが、そのような「感情をバランス良く育てる」という意識は薄いように思います。

 その結果なのでしょうか、「泣くことを禁じられた(強くて無感動な)男」と「怒ることを禁じられた(素直で従順な)女」が「正解」として、かつての日本社会にたくさんいましたね。今もその名残があるようです。

 電車が遅延して、駅員さんに異様な剣幕で怒りをぶつけているおじさんや、理不尽な暴力を受けるなどしたのに失語してただ泣くばかりの女性を見ると、「ああ、この人たちは全身で悲鳴を上げているのだ」と、感情を長い間抑圧されて自己制御を失った彼らを思い、私はそれこそ泣かんばかりの怒りと悲しみを感じます。

職場で、泣いたっていい

 私は、「人間の居場所」である限り、感情は否定せずにある程度解放したほうがいいと考えます。

 家庭でも学校でも日常のさまざまな場面でさまざまな感情が許されているのに、職場だけが特別視されているのは、それが「神聖な」「戦場」か何かだからなのですか? えっ、職場って神聖なんですか? 戦場なんですか? 

 何ですか、その時代錯誤な価値観、おかしくないですか? 日々の糧を得るためや自分の人生を楽しく生きるための、「人間的に生産的に生き生きと仕事をする場所」じゃないんですか? 

 生き生きと仕事をするには、感情を死なせていたらダメですよね。「怒り」や「嘲笑」のようなギスギスした感情は許すくせに、職場から柔らかくて豊かな感情を排除し、色のない冷たくて硬い箱のままにしておく古い価値観は、もうオワコンです。

●泣いた本人が周囲にしてほしいこと

 男性も女性も、本当は「泣いてもいい」と誰かに言ってもらいたいのではないかと思います。でも、泣いてしまった人の中にはこんな声もありました。

 「職場でちょっと泣いたらすぐ上司が『面談しよう』と言ってくる。いや、もう、放っておいてください(笑)。落ち着きますから」(30代女性)

 泣いてしまった人は泣いてしまったなりに、「普段どおり接してくれる人がありがたい」ものだそうで。

 そう、だって泣くのは自然な感情なのですから、周囲も「笑う」「怒る」、なんなら「くしゃみする」と同じレベルで大ごとに捉えなくていい。自然に「スルー」するくらいのいいバランスで済ませる程度が、自然な感情をお互いに許すということなのですよね。

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