様々な「交流」を容易に手にする、SNSお手軽「交流」の前にすべきこと

SNSお手軽「交流」の前にすべきこと

近頃は、様々な「交流」を容易に手にすることができる。これは、ネット社会の恩恵。

異業種交流、異分野交流、異文化交流どころか、SNS を通じて、年代・性別・地域、そして国籍までを超えて多種多様な人たちとの交流が可能となっている。

けれど、交流ではなく「交接」となると、とても狭き門。それは、相当のプロセスを積み上げてこそ成り立つものであり、習得していくすべも必要。なにより、相手への尊重がとても大切なこと。

この「交接」は、私にとっても耳慣れない言葉だった。実は、独自の卓越した身体論を展開する私の師から教えられた言葉であり、その「交接」が備えているはずの深淵さを解説できる技量は、残念ながら今の私にはない。なので、とりあえず「広辞苑」からその言葉の意味を借りることに。

「交接」とは、交わり近づくこと。交際。そして、肉体的動物的な交わりの意味も含む。つまり、交接はフィジカルな要素が満載のコミュケーションの形態だと、私は理解している。

ところで、なぜ私がこんな言葉たちをひっぱり出したかと言うと、「交流」が、うわべだけで済ますことのできる便利で無難な言葉として使われるだけでなく、「交流」と「交際」「交接」の区別、すみ分けを知らず、いきなり無謀な要求を突き付けてくるようなケースが多々見受けられるから。それはまた、限度を超えた「交戦」的な態度となる危うささえもはらんでいる。

例えば、私自身がよく日常で経験するのはこんなこと。見知らぬ人、自称「宇宙エネルギーと交流する」何某氏から、SNSを通じて、それこそ、交流を求められ。それをスルーしていると、「返事を返さない無礼者」と交戦的なお叱りを頂戴したり。あるいは、面識のないFacebook読者の「友達リクエスト」を承認しただけなのに、「今度ぜひ会って食事を」という交際願いのメッセージが、即、届くことも。

過日は、「開運、総合運、あらゆる幸運に導く」と豪語する、これまたまったく存じ上げない自称ヒーラー職の女性から「友達リクエスト」が届き、訝ったもの。きっと、このリクエストは交流希望というより彼女の営業活動のひとつなのだろう。おそらく、Facebook活用術なるセミナーでも受講した挙句のこと。

もしもそうだとしたら、私は面識もない方、職業スキルも知り得ない人の営業活動に加担する気はない。そういえば、自身のFacebookに有名人とのツーショット写真を載せて「つながりました!」などと書く人も多い。それは言うまでもなく、ただ一緒に写真を撮った事実があるというだけのこと。

交流好きの交接嫌い

交流上手の交接下手

交流過剰の交接不足 

こんな状態がはびこっているのが、今のネット社会、SNSの世界。そう思う。

交流環境は、過剰に、持て余すほどに、振り回されるほどに、私たちに提供されているけれど、そこから先、互いの成長を促す密度の高い交際、そして、互いを尊重するフィジカルな交接まで発展させていくことは、ますます難しくなっていくばかり。

だからなのか、一方的な交接を強いる行為、暴力的な行為に及ぶ事件の頻発を目にすると、痛ましさと哀れさが、私の胸を塞ぐ。

そう、そもそも、自分の身の回りの「モノ」たちとすら交接しようとしない人こそが、つまり、家の中のモノの激しい散らかりが常態化している人こそが~モノとの交接回避とは、モノのフィジカルな手入れを怠って放置しているということ~、様々な意識や感情を複雑に持ち合わせる「人間」との交際や交接が、とてもハードルの高い課題であることを知る必要があるのです。

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