「幕末の三傑」への大いなる疑問
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?衝撃的なタイトル『三流の維新 一流の江戸』が話題の著者に、「幕末の三傑」への大いなる疑問を聞いた。
「幕末の三傑」とハリス、オールコック
この時期、幕府を支えた実務官僚を指して「幕末の三傑」という言い方がある。 岩瀬忠震、水野忠徳、小栗忠順のことをいう。 私にはこれに若干異論があり、いうとすれば「幕末の四傑」ではないかと思っている。 川路聖謨が抜けているのだ。中には、いや、井上清直を入れないのも片手落ちであり、「幕末の五傑」というべきだと主張する人がいるかも知れない。 いずれも幕臣であり、幕末外交に奮闘した優秀な武家官僚である。 ハリスを全権とするアメリカ合衆国との間の日米修好通商条約に署名したのは、井上清直と岩瀬忠震である。 岩瀬は、その前にロシアとの間に日露和親条約を締結している。
水野忠徳はその後の日露交渉で川路聖謨を補佐すると共に、日英修好通商条約、日仏修好通商条約に日本側全権委員として署名した。
アメリカのあのハリスと英国の初代駐日外交代表オールコックが組んだ米英連合を相手にし、壮絶な通貨の交換比率交渉を展開し、鋭い知性でハリス、オールコックをたじたじとさせたのは水野忠徳である。
いずれも、現代の外務官僚と比べても、その見識の深さと東奔西走の行動力、外交モラルの高さには驚嘆すべきものがあり、外交特権を利用して卑しい私腹肥やしに汲々(きゅうきゅう)としていたハリスやオールコックと比べても水野の知性、倫理観、胆力というものは、彼らを遥かに上回っていた。
小栗上野介忠順の知性と品格
また、条約の批准手続きのための外交団の目付として井伊直弼に抜擢されて渡米した小栗上野介忠順の知性と品格に、『ヘラルド・トリビューン』をはじめとするアメリカの現地紙が驚嘆の記事を掲載して敬意を表したことは広く知られている逸話である。
こういう幕府の高度に訓練されたテクノクラートの存在は、彼ら自身の素地は勿論無視することはできないが、幕府がそれなりに外交経験を積んできたことを示している。
嘉永六年にペリー率いる黒船が来航して、その武力威圧に屈して幕府は遂に開国したというのが官軍教育に則(のっと)って今も学校で教える日本史である。
ところが、実際には幕府は天保十三(1842)年に「薪水(しんすい)給与令」を発令し、文政八(1825)年から施行されてきた「異国船打払令」を完全否定し、この時点で対外政策を百八十度転換していた。
即ち、この時点で実質的に開国したと看做(みな)すこともできるわけで、薩摩長州の事情で後に書かれた歴史とは二十年以上の開きがあるのだ。
尤(もっと)も私は、江戸期日本が“鎖国”をしていたという薩長政権が書いた歴史記述そのものに異議があるが、これについては本書に譲りたい。
