舛添要一都知事辞職「政治とカネ」、また引導=刑事責任、検察幹部は慎重

「政治とカネ」、また引導=刑事責任、検察幹部は慎重―舛添都知事辞職

東京都知事に2代続けてレッドカードを突き付けた「政治とカネ」の問題。

 舛添要一知事は公私混同が政治資金規正法違反に当たるとして刑事告発されたが、検察幹部は「支出先は明らかにしており、違法性を問うのは難しい」と慎重な姿勢を見せる。

 猪瀬直樹前知事は、医療法人グループから現金5000万円を受け取ったとして、2013年12月に辞職した。その後、公選法違反罪で東京地検特捜部に略式起訴され、罰金50万円の略式命令を受けた。

 12年に発足した第2次安倍政権以降では、閣僚4人が辞任に追い込まれた。小渕優子元経済産業相は14年、関連政治団体が開催した観劇会をめぐり、政治資金収支報告書の収支にずれがあることが発覚し辞任。元秘書が在宅起訴されたが、小渕氏は嫌疑不十分で不起訴処分となった。

 今年1月には甘利明前経済再生担当相が金銭授受問題で辞任する事態に。特捜部は5月、政治資金規正法違反容疑で告発された甘利氏や元秘書らについて不起訴とした。

 政治資金規正法は収入に関して厳格に規定する一方、支出は資産運用などを除き、使途を制限する規定を設けていない。

 舛添氏は規正法違反容疑で告発されたが、検察幹部は使途の妥当性は有権者の判断に委ねるべきだと指摘。「捜査機関が使途の中身まで立ち入るのは、政治活動の自由の侵害にもつながりかねず難しい」と話す。

舛添氏、21日辞職=都議会が同意-政治資金流用で引責

東京都の舛添要一知事は15日、政治資金流用をはじめとする公私混同問題の責任を取り、都議会の川井重勇議長に21日付の辞職願を提出した。都議会は15日の本会議で、舛添氏の辞職に同意。これにより舛添氏の辞職が正式に決定した。

 舛添氏の辞職に伴う都知事選の日程は「7月14日告示、同31日投開票」を軸に調整が進む見通し。与野党各党は候補者選びを急ぐ。
 これに関連し、一部で出馬の可能性が取り沙汰されている総務省の桜井俊事務次官は15日、省内で記者団に「出るつもりはない」と否定した。また、おおさか維新の会の松井一郎代表(大阪府知事)は同日、前代表の橋下徹前大阪市長の立候補について、府庁で記者団に「ない」と断言した。
 2020年東京五輪・パラリンピックの成功などを掲げ、14年2月にスタートした舛添都政は2年4カ月で終幕。現金受領問題で13年12月に引責辞任した猪瀬直樹氏と同様、2代連続で都知事が「政治とカネ」の問題で、任期途中の辞職に追い込まれた。
 15日の本会議では、自民、公明、共産、民進各党など、全会派が共同提出した舛添氏への不信任決議案が可決される見通しだったが、都政の混乱を避けるため、その前に自ら身を引いた形だ。辞職願提出を受け、不信任案は取り下げられた。
 舛添氏をめぐっては、高額な海外出張費や公用車を使った週末の別荘通いに加え、主に知事就任前の政治資金の使途に関し、私的な飲食費や家族と宿泊したホテル代に充てていた疑惑が相次ぎ発覚。都民や都議会から批判が高まっていた。
 舛添氏は東京大助教授などを経て、1999年4月の都知事選に立候補したが、落選。2001年7月の参院選に自民党から出馬し、初当選を果たした。参院議員を2期務め、厚生労働相などを歴任した。
 猪瀬氏の辞職に伴う14年2月の都知事選には無所属で出馬し、自民、公明両党の支援を得て約211万票を集め、初当選した。任期は18年2月までだった。

舛添知事:辞職が正式決定…都議会、全会一致で同意

東京都議会は15日午後8時前、政治資金支出などを巡る公私混同問題を受けて舛添要一知事から出されていた辞職願に全会一致で同意した。舛添知事の21日付での辞職が正式に決定した。

 都知事選は、都議会議長が都選管に知事辞職の申し出を通知した翌日から50日以内に行われる。

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【舛添知事辞職】パフォーマンス好き、政策成果なし 「次は任期全うを」

政治資金の不透明な支出などをめぐり、引責辞任を表明した舛添要一東京都知事。公約では「保育園の待機児童ゼロ」などを掲げたが、任期中にこれといった成果は見られなかった。一方、メディアの前で派手なパフォーマンスを好む「劇場型」手法は、「裏金」疑惑で辞職した前知事の猪瀬直樹氏との共通点も浮かぶ。都政における舛添カラーとは何だったのか。

 「舛添都政の重要政策である都市外交のオリジナルがない」

 今年4月、米ニューヨークとワシントンDCに出張した舛添氏の、旅程を見た幹部の一人は驚きを隠せなかった。「日程の多くが当時メディアが派手に取り上げた猪瀬さんと、石原(慎太郎元知事)さんの行動の二番煎じだった」からだ。

 ニューヨークでは、五輪招致のロビー活動に主眼を置いた猪瀬氏の講演や視察先とだぶった。ワシントンでは、石原氏が都による「尖閣諸島」購入を発表するため「カムフラージュした」(元側近)という全米さくらまつりに参加した。

 直前に熊本地震が発生し都幹部は帰国を促したが、舛添氏は日米メディアが取材するオープンカーに乗ったパレードを優先した。

 「カメラの前で仕事しなくていつやるんだという考えは、都議会の反発を買った猪瀬氏と似ている」。別の幹部はこう話す。

 舛添氏を含め、都庁はこれまで8人の都知事を迎えた。ここ4代は、青島幸男氏、石原氏、猪瀬氏、そして舛添氏と知名度の高い知事が続いた。中でも石原氏は「歯にきぬ着せぬ物言い」と強い指導力で旧来の秩序を破って国と対峙する姿勢で都民の人気を集めた。一方で、大臣経験や人脈を生かした中央政界との太いパイプを活用して、次々と公約を実現してきた。

 舛添氏も厚生労働相の経験を強調して、官邸や国との距離の近さをアピールしたが、石原氏の政策の根回しとは異なり「単なる報告だったのではないか」と指摘する政府関係者もいる。

 15日に舛添氏の辞意が伝わった直後、都庁の複数の幹部は「舛添都政で練り上げた政策が思いつかない」と話した。一方で、定例記者会見を週1回から2回にしたことを挙げ、「カメラの前での雄弁さやパフォーマンスはさすがだった」と振り返った。

 都知事初代の安井誠一郎氏は内務官僚、昭和39年の東京五輪を迎えた2代目知事の東龍太郎氏は医学者だった。3代目の美濃部亮吉氏は経済学者、4代目の鈴木俊一氏も旧内務官僚で硬派なタイプが続いた。

 「次は4年の任期を全うできる実務型の知事になってほしい」。都庁の中からは、すでにこんな声も上がっている。

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