三菱自動車の日産傘下入りが「シナリオ通り」に見えてしまう3つの理由
燃費不正問題で揺れる三菱自動車が日産自動車の傘下になることが決まった。
「どうせまた三菱グループが助けるんでしょ」という大方の予想を裏切るサプライズは、市場も好意的に受け取ったようで資本提携公表後、三菱自の株価は前日比16.1%のストップ高。プラグインハイブリッド車「アウトランダーPHEV」でも不正が発覚するなど、どこまで傷口を広げるかが不透明の中で、「ゴーン流」が三菱自の骨の髄まで染み付いた「不正体質」にどこまで切り込めるのかにも注目が集まっている。
その一方で、ネット上では興味深い見方がちょこちょこ出ている。
三菱自に燃費不正が発覚して、資本提携までの流れというのは、実は日産側が三菱自を手中に収めるために描いた「シナリオ」ではなかったのか、というものだ。
ご存じのように、今回の不正は合弁会社で軽自動車の共同開発を行っている日産側の指摘で明らかになった。そんな「告発者」が不正公表から1カ月もたたぬうちに、株式の34%を取得する。アジア市場に強く、パジェロやデリカD:5などSUVで確固たるブランドを築く三菱自は日産の弱点を補完できる。それを株価下落のおかげで2370億円ぽっちで手に入れる。そのあまりの手際の良さに、「ハナからこういう筋書きだったんじゃね?」なんて声がチラホラと出てきているのだ。
「疑惑」にさらに拍車をかけているのが、銀行、重工、商事と三菱グループ御三家が思いのほかアッサリと引き下がっていることだ。
2004年のリコール隠し後、経営再建のため三菱自の会長も兼務した西岡喬・三菱重工会長が、「三菱自動車を見捨てるなんて、全く考えていない」と宣言したことからも分かるように、三菱グループはこれまで主導権をよそに明け渡すことはなかった。それがこのようになんの軋轢(あつれき)もなく、スムーズに委譲されるというのは、日産側が不正を把握した時点から、御三家に対してなにかしらの「根回し」を行っていたのでは、というのは誰でも思う。
ただ、日産側はこのような「シナリオ説」を明確に否定している。
●日産と三菱自は「主導権争い」をしていた
三菱自動車の益子修会長とともに資本提携を公表した共同記者会見で、記者から燃費不正問題が提携に発展すると想定していたのか? という質問をされたゴーン社長は、語気を強めてこのように回答した。
「予想したか。それはないでしょう。状況を把握し、益子さんとの話で実現に至った。今回の事象で加速された感があるが、これまでも検討してきた」
●両社の蜜月関係はひっそりと続いていた
当時、ゴーン社長も、「日産にとって三菱自を活用することはある。ぜひやりたい」と思いっ切り前のめり。益子社長(当時)も、「その可能性は消えていない。両方にメリットがあれば前向きに取り組む」とまんざらでもなかった。三菱商事自動車事業本部長だった益子氏は海外経験が豊富でゴーン氏とウマがあった。互いの利益も一致しており、提携は秒読みだった。
実際、2004年10月28日の日本経済新聞は「三菱自、日産と軽自動車で提携――来春にも新会社、国内販売立て直し」と報じ、水島製作所を新会社に譲渡することなどを含め日産との間で調整しているとした。
だが、残念ながらこの提携話は「幻」に終わる。
独・ダイムラークライスラーからの経営支援を打ち切られたことで、三菱グループがガッツリと管理下に置くという方針となったからだ。
ただ、両社の蜜月関係はひっそりと続いていた。2005年、三菱自は仏プジョー・シトロエン(PSA)にSUVをOEM供給する業務提携をスタート。また「三菱・プジョー・シトロエン連合」などという話も出たが、2010年3月に資本提携の交渉が打ち切り。入れ替わるように「パートナー」としての存在感を増してきたのが、日産だ。
2010年12月14日に、協業拡大を公表。日産のゴーン氏と益子社長(当時)が催した共同記者会見は、「業務提携の範囲にもかかわらず資本提携並みに仰々しく豪華にセッティングされた会場」(週刊ダイヤモンド2011年1月1日)で行われた。
なぜここまで気合いが入っていたのか。2005年のPSAとの業務提携発表よりも華々しくというルノーの見栄もあったかもしれないが、2004年から水面下で進めてきた「交渉」がようやくまとまったということも大きい。実際、当時の日経産業新聞(2010年12月15日)には関係者談として、「6年越しに、ようやく一歩を踏み出した感じだ」という言葉が掲載されている。
では、このような両社の「蜜月関係」はいつから始まったのか。さかのぼると三菱自が最初のリコール隠しで窮地に立たされていた2000年ごろにゆきあたる。
●「陰謀論」が囁かれる最大の理由
静岡県富士市にCVT(自動車変速機)の世界的シェアを誇るジャトコ株式会社という企業がある。日産が75%、三菱が15%出資しているこの企業が生まれたのは2002年。日産の子会社「ジヤトコ・トランステクノロジー」と、三菱自の水島製作所など三工場の変速機部門が事業統合をした。国内自動車メーカーが基幹部品で手を結ぶのは初のことだった。
「日産、三菱はともに外資の支援を受けて経営再建中で、開発コストを抑える必要があった。特に三菱はリコール隠し事件の後遺症で販売低迷が続いており、今回の統合も三菱側が提案した」(読売新聞2001年10月5日)
ゴーン氏が日産に乗り込んだのは1999年。その剛腕で経営を建て直す一方で、スケールメリットを求めて事業拡大に意欲をみせていた。つまり、益子会長にとってゴーン日産というのは、自身が三菱自に送りこまれた10年以上前から提携交渉を進めてきた「パートナー」であるとともに、2000年、2004年という経営危機が起きるたびに手を差し伸べてくれた「恩人」でもあるのだ。
そんな日産が、三菱自側の燃費データに不審な点があると気づいたのは昨年11月だ。二度あることは三度あるではないが、今回もいち早く三菱自に手を差し伸べて、「傘下入り」という救済策を示したとしても、特に驚くような話ではない。
このような両者の蜜月関係が「実はシナリオどおり」という疑念を抱かせていることは間違いないが、それをさらに「陰謀論」にまで押し上げてしまっている要素が別にある。それが3つ目の理由である「益子会長の不自然な立ち振る舞い」だ。
燃費データ不正問題が発覚後、益子会長はなかなか公の場に現われず、はじめて登場したのは5月11日に開かれた謝罪会見である。その理由はこのように述べた。
「執行部門のトップである相川社長に委ねておりましたが、社内調査がある程度まで進みましたので、監督側の代表として直接ご説明申し上げるのが適切と考え、本日参った次第です」
ただ、これはあまりしっくりこなかった。
●日産と三菱自の「資本提携」は悲願
謝罪会見でボコボコにされた相川哲郎社長は、最高執行責任者(COO)。会長に退いたとはいえ最高経営責任者(CEO)はいまだに益子氏である。企業の存続にかかわる不祥事の対応に経営トップが初動からノータッチというのはどう考えても解せない。日経編集委員の西條郁夫氏も以下のように指摘している。
「益子会長は三菱自動車の社長になった直後の2005年3月に今回と同じ国土交通省の記者クラブで会見し、情理を尽くした説明で「リコール隠し糾弾」にいきり立つ記者クラブの面々を納得させた一幕があった。それほどのコミュニケーションの名手がなぜ今回不在だったのか」(日本経済新聞4月26日)
これはまったく同感だった。益子氏はこの9年、三菱自を守るため常に先頭で奮闘してきた。そんな人物が最も出なくてはいけない場に出てこない。もはや引責辞任は避けられないなかで今さら、責任逃れをしてもしょうがない。なにか理由があるのかと首を傾げている矢先、11日にようやく登場。そして翌日には日産のゴーン社長との共同記者会見に登壇されるのを見て、ようやくモヤモヤが消えた。
日産と三菱自の「資本提携」というのは長く進められてきた悲願だ。その記念すべき日の「顔」となるのは、2004年から蜜月にあったゴーン氏と益子氏と決まりである。
そうなると、燃費不正問題の会見では出せない。当然だ。相川社長が「不正の三菱」を象徴する顔となってしまったことからも分かるように、益子会長にネガティブなイメージが付いてしまうからだ。
これは非常に興味深い。三菱自が燃費不正で益子会長を「温存」していたということは、不正を公表した時点ですでに益子会長を「資本提携の顔」にする方針が定まっていたということになるからだ。
すべては「日産三菱」をつくるための筋書き通り――。ご本人たちは否定されているが、今後のことを考えると、このようなイメージを広めたほうが良い気もする。
これでルノー・日産・三菱自は世界3位のGMにも手が届く。ゴーン社長は、かつて三菱自と組んでいたPSAとの大連合も視野に入れているという。「世界一」の座はきれいごとだけではつかめない。「陰謀論」がバンバン沸き起こるほどの「したたかさ」はむしろ必要ではないか。権謀術に長け、ギラギラした目で野心に燃えた「日産三菱」になることを期待したい。
「日産との共同開発、重圧に」三菱自社員証言
三菱自動車が軽自動車の燃費を偽装した問題で、三菱自の開発部門の社員が社内調査に対し、「軽の共同開発が日産自動車との協業の第1弾だったため、燃費目標を達成しなければという意識が強く働いた」と話していることがわかった。
国土交通省もこうした内容を把握しており、日産との提携をきっかけに三菱自の社内で目標達成が事実上義務づけられ、偽装につながったとみて調べている。
燃費偽装が判明しているのは、三菱自が2013年以降に販売した「eKワゴン」「eKスペース」と、日産に供給した「デイズ」「デイズルークス」の軽4車種計約62・5万台。
4車種の開発にあたり、三菱自と日産は2011年、共同開発を行う合弁会社を折半出資で設立した。共同開発第1弾となるeKワゴンとデイズについて、エンジンの性能向上や車体の軽量化などを通じて燃費目標を達成する作業は、三菱自が担当した。
