「経験生かし切れなかった」二度目の大震災 仙台市出身の東海大生が反省語る
熊本地震で被災した東海大農学部(同県南阿蘇村)1年の加藤木高広さん(19)は、5年前に仙台市で東日本大震災も経験した。2度も震災に襲われるまさかの事態。教訓を学んでいたつもりだったが、十分な対応ができず、「備え」の大事さを痛感した。
16日午前1時25分、南阿蘇村の学生アパート2階の自室で本を読んでいると、激震に見舞われた。体が揺さぶられ、必死に布団をつかんだ。冷蔵庫が部屋の真ん中にまで動いた。「東日本大震災と同規模だ」。冷静に対応しようと、しばらく動かずにいた。
数分後、ガスの臭いがしたため外に逃げようとしたが、こたつの机の上に置いていたはずの眼鏡が見つからない。停電し、室内は真っ暗。携帯電話のライトをつけてみたが、薄暗く、眼鏡は見つからない。
手探りで家財をかき分け、外に出た。近くの避難所までの道路も亀裂が走り、学生たちはみな、携帯電話の小さな光を頼りに歩いていた。「垂れ下がった電線に接触し、怖かった」と加藤木さん。一帯の学生アパートでは犠牲者が出た。
2011年3月11日の東日本大震災の発生時、中学2年生で、仙台市に住んでいた。授業中に強い揺れが襲い、机の下に潜り込んだ。自宅は家財が倒れ、足の踏み場もない。水も電気もなかった。震災後、飲料水の保管や災害時に必要な懐中電灯、保存食など防災用品をまとめたかばんを準備しておくことも、学校で教わった。
ただ、南阿蘇村のアパートに防災用品はそろえていなかった。懐中電灯も、メガネの場所も。「東日本大震災の経験を生かし切れなかった」と悔やむ。九州は水害のイメージが強く、「地震はないだろうという思い込み」。加藤木さんはいま、この教訓を胸に刻む。
