シリア拘束の湯川遥菜氏 事業失敗、妻の死、自殺未遂…渡航の背景を父が激白

シリア拘束の湯川遥菜氏 事業失敗、妻の死、自殺未遂…渡航の背景を父が激白

シリア北部アレッポで、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に拘束されたとみられる湯川遥菜(はるな)さん(42)の消息がいまだ不明のままとなっている。そんななか、千葉県内に住む父親の正一さん(74)が夕刊フジの取材に応じ、揺れる胸中を激白した。事業の失敗に妻の死、自殺未遂。シリア行きは、多くの挫折を経験した湯川さんにとって再起を賭けた「人生のラストチャンス」だったという。

 「6日に電話で話したときには『お盆明けには帰る』と言っていたのに…。今はただ1日も早く元気な姿で帰ってくることを願っています」

 千葉市花見川区の自宅で取材に応じた正一さんは、苦渋の表情を浮かべて言葉を絞り出した。

 外務省からの連絡を受けたのは17日。

 次男の湯川さんが渡航先のシリアで武装勢力に身柄を拘束された疑いがあることを告げられた。

 現地から伝わる情報はごくわずか。時間がたつごとに焦りだけが募っていく。生死さえ判然としないわが子の安否を気遣いながら、「息子がこれほど世間を騒がせるようなことをして本当に申し訳ありません。親として、教育の部分で足りない部分があったのか、と反省しています」と複雑な心情を吐露した。

 今年1月、東京都江東区で「国際民間軍事業」「国外警護」などを主事業とする「民間軍事会社」を立ち上げた湯川さん。活動実績はほとんどなかったが、日本でのその肩書が今回の災難を招いた可能性もある。経験不足も指摘されていたが、なぜ無謀な挑戦に及んだのか。

 「出発前、彼は『これが人生のラストチャンスだ』と言っていました。もともと、国際問題に関心がある様子もなかった。向こうで、事業の展望を開こうと思っていたのではないでしょうか」

 正一さんによると、湯川さんは、千葉県内の高校を卒業後、20歳過ぎで習志野市内にミリタリーショップを開業した。

 2000年に常連客だった女性と結婚。千葉市内に2号店をオープンさせるなど事業は順調だったが、05年に暗転する。

 「店が潰れて莫大な借財ができた。借金は、私が方々かけずり回って返済しましたが、彼は夜逃げ同然に姿を消してそれからすっかり疎遠になってしまいました」

 10年、湯川さんの妻が肺がんにかかったことを知った正一さんは、入院先の病院を訪ねたが、そこでもわが子と顔を合わせることはなかった。

 その後、湯川さんの妻が亡くなり関係は断絶。親子の縁が戻ったのは、昨年12月のことだった。

 「突然、実家にやってきたんです。そこで名前を『正行』から『遥菜』に改名したことを聞かされた。『知り合いに短命な字画だと聞いたから』と言っていました。自殺を図って局部を切り取ったことも知りました。生活の部分で、限界を感じていたのでしょう。親としてそのまま放っておくことはできなかった」

 正一さんは、今年1月、実家近くのアパートで独り暮らしを始めた湯川さんから新事業についてのプランも聞かされていた。

 「海賊からタンカーを護衛したり、海外法人のサポートをする仕事だと言っていました」

 会社の実績作りのために「シリア行き」を計画していることも明かしていた湯川さん。4月に最初の渡航を果たし、今回が2度目だった。

 正一さんは、「最初の渡航時には成田空港までタクシーで送って『腹をくくって行け』と言って送り出しました。帰ってきたときには、『現地の人と親しくなった。歌も一緒に歌った』と目を輝かせていた。友人が少ない子でしたが、あちらでは必要とされているという実感を持てたのでしょう」と振り返った。

 人生の再出発を賭けて赴いた紛争地。そこで出会った人との縁が、湯川さんを危険な最前線へといざなったのか。

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