ウラジオストクは「中国固有の領土」か=始まった極東奪還闘争

ウラジオストクは「中国固有の領土」か=始まった極東奪還闘争

9月にアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会合を開催したロシア極東のウラジオストクは、2年前の2010年、市の創設150周年を盛大に祝った。ウラジオストクはもともと中国領で、1860年の北京条約によりロシア領に移管。帝政ロシアはこの天然の良港に、「極東を制圧せよ」を意味するウラジオストクという名前を付けた。だが、中国の新しい歴史教科書には、「極東の中国領150万平方キロが、不平等条約によって帝政ロシアに奪われた」との記述が登場した。中国はある日突然、ウラジオストクを「中国固有の領土」として返還を要求しかねない。中露間で歴史的なパワーシフトが進む中、ロシアにとって、尖閣問題は他人事ではない。

未解決はグルジアと日本のみ

 プーチン大統領は2004年ごろから周辺諸国との国境画定を重視し、次々に成果を挙げてきた。ロシアは14カ国と陸上国境を接し、ソ連崩壊後国境画定問題が積み残されたが、プーチン政権はこれまでに、中国、カザフスタン、アゼルバイジャン、ウクライナなどと国境を画定。バルト諸国ともほぼ合意した。ノルウェーとも懸案の海上国境を画定させたし、北朝鮮との17キロの国境線も画定した。

 プーチン大統領は05年、国民との対話で、北方領土問題の質問に対し、「われわれはすべての隣国とのあらゆる係争問題を解決したい。日本も含めてだ」と述べたことがある。大陸国家のロシア人にとって、国境が不透明なことは不安感、焦燥感を生むようだが、石油価格高騰で政治・社会が安定したことから、困難な国境問題の調停に乗り出す余裕が生まれた。周辺諸国で国境線が画定する見通しがないのは、南オセチア、アブハジアの独立を承認した対グルジア国境、それに日本との北方領土問題だけだろう。

 近隣諸国との国境問題で、プーチン政権はまず中国との懸案に取り組んだ。中露国境問題は長い歴史を持ち、1960年代末にはウスリー川の川中島の領有権をめぐって中ソ両軍が武力衝突し、数百人が死亡。中国が圧倒的なソ連軍の兵力を前に敗北し、以後、中国は米中接近に動いた。両国は80年代後半のゴルバチョフ時代に国境交渉を再開。91年に中ソ国境協定を結んで東部国境をほぼ画定、94年にエリツィン政権との間で西部国境も画定した。しかし、極東のアルグン川のボリショイ島、ウスリー川のタラバロフ島、大ウスリー島の3つの川中島をめぐる総面積375平方キロの境界線だけが未画定で、積み残された。


ウラジオストク(ロシア語:Владивосто́кヴラヂヴァストーク、IPA:[vlədʲɪvɐˈstok]、ru-Vladivostok.ogg 発音[ヘルプ/ファイル];ラテン文字表記の例: Vladivostok;漢語: 海参崴)はロシアの極東部に位置する都市で、沿海地方(プリモールスキイ地方Приморский край)の州都である。

日本語では文献により様々な表記が見られるが、代表的なものとしてはウラジヴォストーク、ウラジオストック、ヴラヂヴォストーク(ソビエト科学アカデミーによる公式な日本語表記)などが挙げられる。

明治時代には浦塩斯徳(又は浦潮斯徳)と当て字され、「浦塩(浦潮)/ウラジオ」と略した。気象通報ではかつて「ウラジオ」と略称で呼称されていたが、現在は「ウラジオストク」と呼称されている。

中華民国(台湾)では「ナマコの入り江」を意味する中国(清帝国)領時代の名称、海参崴(繁体字: 海參崴、ハイシェンウェイ)と呼ぶ。中華人民共和国ではロシア語の音写である符拉迪沃斯托克と表記するのが一般的である。


ウラジオストクは「中国固有の領土」か?いいえ!違う!地球まるごと全て「中国固有の領土」だ!

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