「正月来る感じない」 伊豆大島と東北、被災地「仮住まい」の年越し
新年を間近に控え、国内各地の被災地では不安と期待が交錯している。39人が死亡・行方不明となった伊豆大島(東京都大島町)で「仮住まい」の人たちは、住宅再建への不安が強い。この1年の苦労をかみしめつつ、前を向こうとしている。
島内避難者再建に不安
「暮れとか正月という感じはないね」。10月16日に伊豆大島で起きた土石流災害で、自宅に住めなくなった人たちが暮らしている都教職員住宅に住む、藤井勝夫さん(87)はつぶやいた。
災害発生直後に暮らしていた町役場から現在の住宅に移って約2カ月になる。家具や電化製品は備え付けのものがあり、食事も毎日、町役場から届けられ、当面の不自由はない。
来年1月下旬には仮設住宅に移ることが決まっている。今月29日に中断した仮設住宅の建設は1月5日に再開され、入居ができるのは同月25日。だが、藤井さんの頭にあるのはその後の不安だ。
被害が大きかった元町3丁目にあった自宅は土石流で全壊した。狩野川台風(昭和33年)、三原山噴火(61年)と過去にも大災害を経験したが、「今回はよくやられなかったと思う。怖いというのを通り越している」と振り返る。
今月下旬、災害後初めて山に登り、今も傷痕が残る現場を見た。「こんなことあるのか。これじゃあ逃げようがない」と思った。
そんな危険が間近にある自宅を建て直していいのか。来年には米寿を迎える年齢のこともあり、住宅資金の返済を考えると、再建のための借金をためらう。将来的な展望を聞くと、「これからどうといわれても今は分からない。ただ町や都が進めている方向についていく」と語った。
土石流で岡田地区の自宅が半壊し、教職員住宅で生活する榎本安宏さん(81)と妻の信子さん(77)も「お正月という感じは全然しない」と口をそろえる。
床上まで水につかった自宅は畳などが取り外され、中はほとんど骨組みだけの状態という。そんな自宅に安宏さんは毎日午前、車で向かい、片付けに汗を流す。一刻も早く自宅へと戻りたい気持ちからだが、信子さんは「どこから水が来るのか、1年見ないといけない」と安全を心配する。
家の中を泥水が川のように流れていた光景が頭を離れない。「寝ると水が入ってきたときのことを思いだす」という信子さんは、睡眠薬を服用している。安宏さんも「最近ようやく気持ちが落ち着いてきた」と話すほど。2人は現在の暮らしに困ったことはないというものの、自宅の問題は解決していない。
いまだ見えない将来への不安は、被災者の新年に暗い影を落としている。
「来年も前向きに」
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から来年で3年の節目を迎える東北の被災地では30日、仮設住宅に身を寄せる人々が暮れゆく年を振り返り、新年に思いをはせていた。
福島県民は14万人余りが避難先で年を越す。浪江町の244世帯、538人が暮らす二本松市の仮設ではこの日、餅つきが行われた。今年で3回目。「恒例」になってきた。
小雪が舞う中、熱々の雑煮をふるまわれた主婦、岩倉恒子さん(80)は「あったまるね」。自宅は比較的放射線量の低い「避難指示解除準備区域」にあるが、「もう3年になる。あと何年したら帰れるのかと思うと、寂しくなる」。
町で暮らしたころは元日未明に集まり、太平洋岸まで歩いて大海原に上る初日の出を拝むのが習わしだった。「一合升にお酒をもらって、みんなでみかんを食べて…。もうできないね」
同じ仮設で暮らす主婦、武内マス江さん(77)は「考えるほど分からなくなってくるから、前向きに、前向きにって生きてるの」。東京で生活する長女、由紀子さん(50)にも「お母さん頑張ってるから」と伝えたいという。
「もう3年…。来年も今年のように、前向きに頑張らなくっちゃと思う」
宮城県南部の山元町。津波で自宅を流された元会社員、伊藤一郎さん(67)は「この1年、長かった」と話す。仮設暮らしは来年1月1日でちょうど2年8カ月になる。町では内陸への集団移転事業に1575世帯が参加し、伊藤さんも加わるが、事業の完了までまだ2年以上待つ。
「移転用地を毎日見に行くが、工事が始まらず、背中を丸めて帰ってくる。最近、やっと工事が動き始めた。来年の今ごろは、『今年は短い年だった』と思えるようになってほしい」
なに?14万人余りが避難先で年を越すって?
非常に大変な年越しだ。![]()
